ここのところの政治の動きが手に取るようにわかる本で、小泉、安部、福田の各総理がどんなことを考えていたかが赤裸々に描かれます。すべて、1人の財務省官僚の視点から記述しています。本書では、ものごとを客観的に書くというよりも、1人の視点を前面に出していますから、ある程度の自己弁護や自己満足、さらにはいいわけがましさがあったりするかもしれません。読むときはそのあたりを割り引いて読むべきでしょう。
さて、乙がこの本を読もうと思ったのは、わんだぁさんのブログ
http://wanderer.exblog.jp/7011954/
を見たからです。
日本は財政危機ではないとのことです。本書では pp.191-194 に出てきます。こんな考え方もあるのかといった軽いショックを受けました。
浅井隆氏のような日本の財政危機をあおり立てる人の著作を読み、乙は単純にそう信じてしまいましたが、高橋氏の記述を読むと、財政危機ではないとする考え方のほうが正しいと思えるようになりました。
p.183 では、日本の年金は破綻状態ですが、特別会計の裏にある「埋蔵金」が50兆円あるとのことです。すごい額です。これだけで判断するわけではありませんが、日本は財政危機でも何でもないと思えてきました。財務省のいう財政危機説は単に増税を成し遂げるためだけの詭弁に過ぎません。
毎年度の予算を議会で審議している以上、乙はそんなに簡単に日本の国家財政が破綻するとも思えなかったのですが、本書でやっと自信がつきました。
著者の高橋氏は、東大の数学科を出ている秀才とのことですから、確率に関してシロートがあれこれいうのもはばかられますが、ちょっと気になる記述が出てきます。p.261 で年金の間違いの確率を論じているところです。1段落を引用します。
あらゆる手立てを講じて、確率をゼロまでにしたとしよう。多くの人は確率ゼロだからもう間違いは起こらないと考えるだろうが、確率論の世界では、確率ゼロと、起こらないこととは、イコールではない。確率ゼロとは、ほとんど起こらないという状態でしかない。
これは、変な記述だと思います。
あらゆる手段を講じていくと、間違いの確率が(0.01 さらには 0.0000001 などと)小さくなることはあっても、ゼロにはならないと考えるべきではないでしょうか。確率がゼロになれば、間違いは起こらないと解釈するのが正しいと思います。確率論の世界では、確率がゼロと、起こらないこととはイコールだと思います。
もしかして、0.000000000000000001 のようなものを確率ゼロと表現するのでしょうか。乙は、そんな確率論の本を読んだことがありません。