スーダンで医療活動する元大使館医務官 川原尚行さん(44)
多くの子どもがマラリアやコレラで亡くなっていく。だが、日本大使館の医務官としては、現地の人たちを診ることは許されない。
アフリカ北東部スーダンに赴任、10人に1人が5歳まで生きられない現実を目の当たりにした。「おれは何をしているのか」。無力感と使命感。05年に外務省を辞め、現地で医療活動を始めた。住民と同じものを食べ、同じ水を飲む。何度も腹をこわし、粗相した下着を便所で洗い、ポケットに突っこんで診察した。
年収1700万円から無収入に。援助もないなかで、助けてくれたのが母校・小倉高校(北九州市)ラグビー部の仲間だった。国連機関に勤める後輩がスーダン勤務になったのを機に家に転がり込んだ。05年秋に活動の基盤になるNPO法人「ロシナンテス」を設立。「1人の力は無力でも、協力すれば大きな力になる」という思いを、ドン・キホーテが乗ったやせ馬の名に託した。
活動資金は小倉高、九大の母校OBら日本からの寄付が頼りだ。年2回帰国し、学校などで講演して支援を呼びかける。「混乱が続く国で子どもたちに夢を持ってほしい。子どもに必要なのは笑顔で遊ぶこと」。現地で学校建設にも取り組む。
北九州市に残る3人の子を養うのは小学校講師の妻佳代さん(43)。「家族を思うと帰りたくなることはある。でもスーダンに骨を埋める覚悟。10年30年たち、自分が生きた後に道が開けていればいいなと思う」
文・山根久美子 写真・藤脇正真(写真は引用省略)
本当にびっくりしました。年収 1700 万円をなげうってしまったというのは、すごいというか、むちゃというか、信じがたい行動です。
ネットを検索すると、ロシナンテスのホームページがありました。
http://www.rocinantes.org/
さっそく、微力ながら、寄付をすることにしました。これから毎年1回の寄付を続けるつもりです。
当面は乙の定年までが目標ですが、できたら死ぬまで続けたいものです。とはいえ、定年後は収入が激減するので、むずかしいかもしれません。そのころまでに、資産運用がうまくいって、寄付ができるくらいになっていたら、余裕の老後が送れるという意味で、うれしいのですが。