乙が子供の頃、関東地方のあるところに住んでいました。
乙の父親は、ある自動車関連の会社で労働者として働いていました。工場があったのです。家は会社のすぐそばにあって、2階からは会社の中が塀越しに見えました。そういえば、自宅に風呂がなく、乙の家族は、会社の風呂を(無料で)使っていました。社員の家族は会社の風呂に入れた時代だったのですね。乙が高校生だったとき、夏休みにその会社でアルバイトをしたこともありましたが、夏のプールも会社のものを使っていました。そんな時代だったのです。
1960 年代、その会社では、乙の家から見えるところに女子寮を何棟も建てました。中卒の若い女性たちが大量に住んで、近くの定時制高校に通っていました。会社側は、彼女らを定時制高校に通わせることで、少なくとも3年は安定的な労働力として確保でき、彼女らも働きながら高卒の資格が取れ、お互いに好都合だったのでしょう。乙がいた家には、日曜日になると、若い女性たちのにぎやかな声が聞こえてくるときも多かったです。
それから数十年の時が流れました。
乙が実家に帰ったときに、その会社を見ると、塀はなくなっており、女子寮はすべて撤廃され、工場もほぼ全部なくなっており、その跡地には「研究所」なるものができていました。「研究所」は、ガラス張りのしゃれた建物で、やや汚れの目立つ「工場」とはまるで違っていました。会社の敷地内は緑にあふれ、ゆったりした空間に建物が配置されています。「工場」時代は、たくさんの人が働いており、敷地のあちこちを有効活用して、さまざまな物(建物を含む)が置かれていたりしました。「研究所」時代は、ゴチャゴチャしたものは全部取り払われて、雰囲気が大きく変わりました。
時の流れは大きいものです。もう大量の労働者はいらなくなってしまったのです。昔の中卒の労働者の代わりは新興国の労働者がつとめているのでしょうか。もしかすると、ロボットがその代役をしているのかもしれません。工場自体も、国内に置くよりはアジアに作ったほうがいいのでしょう。その会社では、国内の働き口としては「研究職」くらいしかいらないのです。働く人の人数もめっきり減りました。
さらに最近は、その研究所さえもいらなくなっているようで、人が働いている気配がありません。もしかして研究所が廃止されてしまったのでしょうか。働く人間として、研究職すら不要になってきたのでしょうか。
こんなことで、ある会社の過去50年ほどの変遷を見てみると、産業構造の大きなうねりが感じられます。
とりあえず、実家のそばの一社だけを取り上げましたが、近くにある会社(工場)なども同様の傾向にあります。昔は、いろいろな会社(工場)がこの地域に進出してきて、町は大いににぎわったものでしたが、……。
統計で浮かび上がる全国的な姿も重要ですが、個人の目で見てきた特定の会社の変遷もまた興味深いものがあります。
こんな日本です。
今、大学卒も高校卒も、就職難になっています。
乙の実家のそばの会社を見ても、「人材は不要」というのが見てとれます。本当に優秀な人を一握りだけ採用すれば、それで十分なのでしょう。
この会社だけが働く場ではないので、新しいところに人材が流れていくのでしょうが、それにしても、地方で就職するのはいよいよむずかしくなっているのではないかと感じます。
乙は、たまに実家近くに行くだけですので、その周辺をよく知っているわけではありませんが、市街地のお店がつぶれたりしていくのを見ると(その跡地で何年も新しい店の開店がなかったりしますが)、「地方の変化」を感じざるを得ません。
今回は、ちょっと昔話ふうに乙の見聞きしたことを書き綴ってみました。