乙の場合、昨年は初孫の誕生ということがあり、今までの人生の中で一区切りがついた気分でした。何というのでしょうか、自分の世代から次の世代へとさまざまなものが受け継がれていく感覚です。「めでたい」ということばの意味を実感します。
新年を迎えて、息子の嫁にはお年玉をあげることにしました。
嫁から聞いたところでは、もうずっと前から社会人として働いているので、何年もお年玉をもらっていないそうです。一般にはお年玉というものは小さな子供がもらうものでしょう。遅くとも学生までで、卒業して働き出したら、お年玉はもらえないものです。
しかし、乙は、孫を育ててくれていることに対する感謝と、それにともなう収入の減少に対するわずかばかりの補填のつもりです。嫁の場合、乳飲み子を抱えていては、仕事も思うようにできないはずで、収入も激減していることでしょう。本当は、気分として毎月あげてもいいのですが、それでは息子夫婦が負担に感じるだろうし、いかにも生活費の補填のような感じになります。もちろん、息子の収入からなにがしかは嫁に回っているはずですが、それでも、嫁は自分の好きなようにお金が使えないだろうと思います。だから、嫁に自由に使えるお金を渡しておこうと考えたわけです。
お年玉の金額は6ケタにしました。これくらいあれば、使い出があるでしょう。5ケタでは、あっという間になくなってしまいそうです。
数ヶ月後にはまた何かの名目でプレゼントすることにしましょう。
寄付の場合も感じますが、ひとにプレゼントするというのは気持ちがいいものです。お年玉も同じです。お年玉も、プレゼントであり、実は自分のためにプレゼントしているような面があるのではないでしょうか。
今年もブログを書き続けるつもりでいますが、最近、書いている内容が投資そのものから社会的なものに変わってきているような気がしています。
これは、乙の仕事が忙しくなり、あれこれ投資行動がしにくくなっていることの反映です。
また、投資の方針がだいぶはっきりしてきたので、あまり悩まなくなったことも影響しているでしょう。
つまり「ブログに書きながらあれこれ考える」ことも少なくなったわけで、とすると、投資関連の話題を取り上げることも相対的に少なくなるかもしれません。
一応、ブログは書き続けるつもりでいますので、今年もよろしくお願いいたします。