大規模な津波が今後もあることを前提にすると、基本計画として、いくつかの選択肢があります。
第1案:大津波を防ぐ巨大な堤防を作り、元のままに町を復興する。
第2案:被災地を捨てて、海岸線からやや離れた高台にみんなが集団移住する。
第3案:元の居住地を一切捨てて、国内のどこかに集団移住する。
第4案:それぞれの被災者が国内の諸都市に分散居住する。
一体どれがいいのでしょうか。
被災者たちの希望を勘案すると第1案でしょうか。先祖たちの築き上げてきたこの土地で、みんなで仲良く暮らしたいということです。しかし、将来来るであろう15メートル程度の津波を防ぐために巨大堤防を作るだけでもかなりのお金がかかりそうです。1箇所数千億円くらいでしょうか。そこに住む人たちの人口から考えると、(ムダとまではいえないけれど)もったいない気分になります。しかも、残念ながら今回の地震と津波でかなりの人口が失われたことを考えると、一緒に住むべき「みんな」はもういない場合があるのではないでしょうか。町ごとに被災状況が異なるので、一概には言えませんが……。元のままに復興することが現実的なのかどうか、考える余地がありそうです。
釜石市の堤防は 1300 億円かけて作られていたとのことです。
http://www.bionet.jp/2011/03/konnahazudeha/
それでも今回の津波には役に立たなかったというのが現実です。
第2案は、津波で流された町を見捨てるということでもあり、そういう判断はしにくいものですが、一度津波が来た場所は、これからも津波が来る場所なのですから、土地の利用価値はないと考えれば、選択肢の一つになりうると思います。しかし、何もないところに新しいコミュニティを作るというのは、それなりの苦労があります。ライフラインを整備するところから始めることになり、ダムによる水没予定地の集落が移住するような話に近くなります。でも、新しい土地にも地権者がいるわけですから、簡単に話が進むとも思いません。また、今回の地震・津波による被害を受けていない人たちもいるわけで、そういう人たちとの関係をどうするかという問題もあります。
第3案は、あまり現実的だとは思いませんが、これからの少子高齢化・人口減少社会を考慮すれば、いっそのこと被災地を見限ってしまうということもありえます。第2案と比べれば、引越先が遠くなるだけです。国内の過疎地などを活かせば、集団移住を歓迎して受け入れてくれる場所もありそうです。しかし、それでは町の産業構造など一切が大きく変化するので、人々がどうやって暮らしていくかという問題があり、住民の抵抗が大きいかもしれません。
第4案は、けっこう現実的です。日本社会全体としては、かなり低コストだろうと思います。もっとも、個々人にとっては、収入の道をどうするのか、悩ましいと思います。友人・知人と別れて、どこかに住むとしても、回りは知らない人ばかりということで大変です。受け入れる側にしてみれば、家も土地も財産も一切を流された人たちを受け入れるということですから、あたかもホームレスの人たちが転入してくるように受けとめられるかもしれません。しかし、今の日本で新たな差別問題が発生するとは思えません。今の日本では空き住戸がたくさんあるわけですから、分散居住でよければ、住むところは何とでもなると思います。時間が経てば、それぞれの被災者たちも自立の道を歩むものと思います。
ただし、行政の立場からは、町がなくなるような第4案は考えられていないと思います。こういうのは「復興」でも何でもありません。
今まで、自然災害にあうと、元の生活を再建することが復興と考えられてきました。しかし、被害の程度や復興の費用、これからのあるべき姿を考慮すると、あえて復興しないことも選択肢にしていいのではないでしょうか。
余談ですが、第2案から第4案で今までの居住地を放棄したとしても、その後、海岸部の低地に住み着く人たちが出てきそうです。土地が安いし、100 年後にはまた津波がくるとしても、そのころには自分は死んでしまっていると考えれば、あえて海岸線沿いの低地に住む人がいても不思議ではありません。
こんなことを考えると、もしかして、第0案として、今までのような(大津波に流されてしまうような)町を復興することもありかもしれません。津波が来たら水没する(その場合はひたすら高台などに逃げる)ことを前提にする居住方法です。大津波はめったに来ないのですから、そのときはそのときと覚悟を決めるならば、これもまた低コストな方法でしょう。
考えてみると、被災者の人たちにとって、何が一番いいのかはむずかしい問題のように思いました。
この話は、被災地から遠方にいて、現場の被害の状況をわかっていない人間の思い付きに過ぎません。
参考記事:
http://genuinvest.net/?eid=1507