2011年04月20日

宅配される新聞を読むのも大変

 昨年あたりから乙の仕事が忙しくなり、この4月からさらに大変になってきました。乙は、自宅で日経新聞を定期購読していますが、これをちゃんと読むのもむずかしくなってきました。妻が先に読んで、乙は1日遅れで読むことも多くなってきました。そんなことをしていると、だんだん新聞を読まなくてもいいのではないかと感じるようになってきました。ニュースは、テレビでも流れていますし、ネットのポータルサイトなどでも読めます。
 数十年続けてきた習慣ですから、新聞を取らないということもさみしい気がしていますが、本当に必要かと考えてみると、けっこう不要なように思います。こんなことを考えてしまうくらい、新聞で読むべき欄がないように感じています。各種ブログの方が鋭い洞察にあふれています。
 ただし、新聞の宅配には、まったく別の意味が一つあります。
 一人住まいの場合で孤独死した後、比較的早く「発見」されるということです。
 まあ、死ぬこと自体には間に合わないので、ホントに意味があるのか、疑わしいのですが、……。
 さらに高齢化が進んでいくこれからの日本で、新聞の宅配は重要な福祉ポイントになるかもしれません。民生委員なんて、たまに回ってくるだけだから、孤独死なんてわからないでしょう。それよりは新聞配達員の方が、新聞受けにたまっていく毎日の新聞を見て異変に気づくと思われます。
 年を取ってからの一人住まいがどんなものか、乙は経験したことがないので、わかりません。

 そういえば、ブログもそんな意味合いがあるかもしれません。ブログの更新が(意図的でなく)途絶えたとき、その管理者は身体的に危機状態なのかもしれません。まあ、そんなことにはなりたくないものですが、……。
ラベル:新聞 宅配 孤独死
posted by 乙 at 04:53| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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