目次は以下の通りです。
第1章 1989年の一杯のかけそば
第2章 1983年のクリスマス
第3章 1987年のディズニーランド
第4章 1989年のサブカルチャー
第5章 1991年のラブストーリー
第6章 1999年のノストラダムス
終章 2010年の大いなる黄昏 あるいは2015年の倭国の大乱
第1章以外は、年代順に記述されています。こうして、それぞれの年に何があったかを年代ごとに思い起こして書いていくスタイルです。著者の堀井氏は1958年生まれ、こうして若者として自らが経験してきたことを、多くの人(その多数は、早稲田大学の落語研究会の異なる世代のメンバー)の証言と付き合わせつつ、現代史を書きつづっていきます。
乙は、本書を読みながら、奇妙な感覚を覚えました。いやにリアルなのです。実際、ディズニーリゾートのアトラクションの数の変遷とか、データはありますが、必ずしもすべてがデータに基づいて議論しているわけではありません。しかし、そこに展開される論説は、当時を生き抜いてきた人間の生の証言であり、何か、世の中を裏側から見ているようなシニカルな感覚にあふれています。
このような記述から、本書では、若者が無理にいろいろなものを消費させられてきた存在なのだとしています。そのような各種流行(何が流行だったかは上の目次をご覧ください)は、大人たちが若者たちからカネを巻き上げるためのものだったのです。若者は、そのようなことを知らずに、世の中の流行に遅れまいと従っただけですが、結果的にその上の世代の人に貢いでしまった形になっています。
こういう視点は、今まで乙が明確に意識してこなかったものなので、本書を読みながら、現代史を改めて実感するようなことになりました。
描かれているのは、たった30年前のことですし、乙はその時代を生きてきたわけなのですが、改めて、これこれこういう時代だったと言われて、納得してしまったようなしだいです。
ラベル:堀井憲一郎