2008年07月14日

高橋洋一(2008.3)『さらば財務省!』講談社

 乙の読んだ本です。「官僚すべてを敵にした男の告白」という副題が付いています。
 ここのところの政治の動きが手に取るようにわかる本で、小泉、安部、福田の各総理がどんなことを考えていたかが赤裸々に描かれます。すべて、1人の財務省官僚の視点から記述しています。本書では、ものごとを客観的に書くというよりも、1人の視点を前面に出していますから、ある程度の自己弁護や自己満足、さらにはいいわけがましさがあったりするかもしれません。読むときはそのあたりを割り引いて読むべきでしょう。
 さて、乙がこの本を読もうと思ったのは、わんだぁさんのブログ
http://wanderer.exblog.jp/7011954/
を見たからです。
 日本は財政危機ではないとのことです。本書では pp.191-194 に出てきます。こんな考え方もあるのかといった軽いショックを受けました。
 浅井隆氏のような日本の財政危機をあおり立てる人の著作を読み、乙は単純にそう信じてしまいましたが、高橋氏の記述を読むと、財政危機ではないとする考え方のほうが正しいと思えるようになりました。
 p.183 では、日本の年金は破綻状態ですが、特別会計の裏にある「埋蔵金」が50兆円あるとのことです。すごい額です。これだけで判断するわけではありませんが、日本は財政危機でも何でもないと思えてきました。財務省のいう財政危機説は単に増税を成し遂げるためだけの詭弁に過ぎません。
 毎年度の予算を議会で審議している以上、乙はそんなに簡単に日本の国家財政が破綻するとも思えなかったのですが、本書でやっと自信がつきました。

 著者の高橋氏は、東大の数学科を出ている秀才とのことですから、確率に関してシロートがあれこれいうのもはばかられますが、ちょっと気になる記述が出てきます。p.261 で年金の間違いの確率を論じているところです。1段落を引用します。
 あらゆる手立てを講じて、確率をゼロまでにしたとしよう。多くの人は確率ゼロだからもう間違いは起こらないと考えるだろうが、確率論の世界では、確率ゼロと、起こらないこととは、イコールではない。確率ゼロとは、ほとんど起こらないという状態でしかない。

 これは、変な記述だと思います。
 あらゆる手段を講じていくと、間違いの確率が(0.01 さらには 0.0000001 などと)小さくなることはあっても、ゼロにはならないと考えるべきではないでしょうか。確率がゼロになれば、間違いは起こらないと解釈するのが正しいと思います。確率論の世界では、確率がゼロと、起こらないこととはイコールだと思います。
 もしかして、0.000000000000000001 のようなものを確率ゼロと表現するのでしょうか。乙は、そんな確率論の本を読んだことがありません。


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posted by 乙 at 03:54| Comment(7) | TrackBack(0) | 投資関連本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
確率論でいうところの確率は、「考えうる場合」だけを扱っていますから、たとえ、数学的に「確率0」と計算されても、想定外のことが起こることがあるという意味で「間違いが起こる」とおっしゃっているんだと思います。数学では、almost everywhereで確率0という言い方をします。理論と現実のギャップといってもいいかもしれません。
Posted by Naruto at 2008年07月14日 04:10
Naruto様
 コメント、ありがとうございます。
 そもそも、数学的に計算したときに確率ゼロということがあるのでしょうか。
 サイコロを振って、7が出る確率はゼロですが、そういうような「ありえない」場合だけゼロになるのであって、そうでなければ、確率がゼロになることはないように思うのですが……。
 想定外のことが起こることがあると考えると、サイコロの目の確率も、1から6までの確率を合算しても 1.0 にならないことになります。これは相当に問題になるように思います。
 乙が勘違いしているとすれば、再度コメントをお願いいたします。
Posted by at 2008年07月14日 08:15
「まぐれ」(ナシーム・ニコラス・タレブ著)はお読みになりましたか? 彼の本に、確率論にたいする面白い記述があります。
また、この本は市場参加者毎に捉え方が違うと思われます。乙氏がどのような感想をもたれるかに、個人的には非常に興味があります。
Posted by fenk at 2008年07月14日 11:34
追伸です。
彼の書を読め、というわけではありません。どうも私は言葉が足りないようでスイマセン。
彼の書では、この高橋氏の言う「確率ゼロとは、ほとんど起こらないという状態でしかない。」をよく分かるように記述してあると私は思いました。
Posted by fenk at 2008年07月14日 11:38
fenk 様
 「まぐれ」は読んだことありません。
 そのうち読んでみようと思います。
Posted by at 2008年07月14日 13:17
乙様

確率論では、起こりうると考えられる事象を(人間が)予め決めておきます。つまり、対象としている現象を(人間が人工的に)モデル化します。この時点で実際の現象と確率論との間でギャップが生じます。

サイコロの例で考えると、「7が出る確率」はゼロと決めます。直感的には、もっともらしい決め方だと思います。
実際には、振ったサイコロが壊れるということも考えられますし、斜めに立って、目が何なのか特定できない場合も考えられます。でも、普通はそれらは起こりうる事象からは排除してモデル化します。

保険の場合はどのような事情かは読んでないのでわかりませんが、起こりうる事象の決め方によって、確率が変わってくるんだと思います。
Posted by Naruto at 2008年07月14日 18:54
確率を丸めて(四捨五入して)0.00%のように書いたときは, 実際には確率0.005未満という意味... ということを著者は言っているのかもしれませんが, 次のような解釈も考えられます.

標本空間が無限集合の場合は次のようなことが可能です.
0以上1以下の実数を一様に出力するスゴいサイコロ(確率変数)を考えます.
このサイコロをふると, たとえば, 0.5以下の目が出る確率は1/2です.
0.1以上0.4以下の目が出る確率は0.3です.
いまこのサイコロをふってその目が実数rだったとしましょう.
逆にrが出る確率を考えると, 確率0になります.
あら不思議, 確かに起こったはずなのに確率0とは!!!

しかし実際に金融などの確率モデルを考えるときには, 無限の場合を考えるのかはよく知りません. 読者のターゲットなどを考慮すると, やはりあまりいい説明ではないですね.
Posted by at 2008年07月17日 00:20
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