http://diamond.jp/articles/-/9130
今までにも、断片的に読んでいたのですが、実際のところ、名古屋がどんな状況なのか、よくわからないままになっていました。
名古屋市での「戦い」も興味深い話です。
地方自治とは何か、どうあるべきか、どのように改革していけるのかを考える上で重要な視点を提供してくれます。
ここの「戦い」の結果によっては、日本という国のあり方にも関わるような気がしています。
それにしても、議会と首長という二元代表制は、考えてみると不思議な制度です。国レベルでいえば、国会とは別に大統領が直接選挙で選ばれているようなものですが、これでは、誰が決め、誰が執行するのか、わかりにくくなります。特に、両者が対立すると大変なことになります。名古屋では(阿久根市でも)現実にそうなっているわけです。
参考記事:
2010.4.28 河村たかし(2008.9)『この国は議員にいくら使うのか』(角川SSC新書)角川書店
http://otsu.seesaa.net/article/148042638.html
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なあなあの馴れ合いにも辟易しますが、馬鹿みたいに激突だけして停滞しているようでは、問題提起にこそなれ、結果は同じです。
こちらにも制度改革が必要だと思うのですが、かと言って妙案が浮かびません(−−)。
確かに妙案はないでしょうね。
あれば、とっくにそうなっているように思います。
まあ、何にしても、決める主体が二つあることが問題なので、国会と総理大臣のように、地方議会が首長を選ぶような形にする方がマシなのではないかと思います。
それにしても、大統領を公選制で選んでいるような国は、似たような問題が起こらないのですかねえ。
日本でも、首相公選制になれば、こんな問題が起こるように思います。
そこに民間中小企業経営者出身の市長が登場したわけで、衆参ねじれ国会のような状況です。
河村市長によって、市役人の放蕩ぶりが露呈されたため、その件について民意を問うため市議会を選挙しなおそうという話なのに、既得権を脅かされそうな市議会が解散したがらないわけです。
市議会も河村市長が嫌いならさっさと議会を再選して市長を罷免すれば済む話です。
>わかりにくくなります
全く仰る通りです。
もっとも、その反面、相互牽制により突出した権力による専横が抑止されるというメリットもあるのだと思います。
首長も議員も民意を反映しているのですから「ねじれ現象」も有権者自身が招いたものであり、まぁそれが民主政というもののメリットでもあり限界でもあるのでしょう。
「ねじれ現象」は「相互牽制」という見方も可能ですが、一方では、機能しなくなる(かもしれない)というデメリットがあります。
首長と議会のねじれ現象は、参議院と衆議院のねじれ現象よりも、ひどいことになりそうです。国会の方は「同じく議員」であるのに対して、首長と議会は本来「同じ」ではないのですから。
名古屋市や阿久根市の例は、(ひとくくりにしてはいけないのかもしれませんが)ねじれ現象が悪い方に進んでしまっている例といえるでしょう。
従来であれば問題提起すらされなかったであろう部分が取上げられる所には新しい風を感じますが…
お二人の「名古屋市民」様は別人のようですが、いずれも名古屋にお住まいのようです。地方自治の最先端の問題点を直接肌で感じることができるのはすばらしいことです。
都内に住んでいる乙みたいな人間には、遠くから眺めることしかできませんからねえ。
もっとも、間近だからこそ、醜い部分などが見えてしまう面もあるのかもしれませんが。
健やかにお過ごしください。