その途中で考えたのですが、子供を産んで育てた人と、子供を育てなかった人が同じ金額の年金をもらうのは不合理ではないでしょうか。
子供を一人育てるのに、かかる費用はさまざまでしょうが、ざっとマンション1戸分くらいという言い方があります。二人を育てれば、マンション2戸分が消えてしまいます。
年金は、賦課方式が基本で(積立方式にするべきだという議論もわかりますが)現役世代が高齢者を支える形になっています。だとすると、子供をもうけた人は、年金保険料を払って高齢者を実質的に支えてくれる現役世代の育成に貢献しており、子供をもうけなかった人は、そういう貢献をしてこなかったということになります。
一方、子供を育てた人は、そのために数千万円を消費してしまったのに対し、子供を育てなかった人は、その分を預貯金(あるいは投資)に回して老後資金を多めに確保できるわけです。
どうも不公平ではないでしょうか。
そこで、子供がいない人の年金は支給額を減額するということにしたらいかがでしょうか。
どれくらい減額するといいかはむずかしいのですが、ちょっともらえる年金の額について計算してみましょう。
まずは厚生年金の場合ですが、
http://www.nenkinzatugaku.com/column2.html
によると、平均 200 万円くらいもらえるとのことです。65歳の人の平均余命は
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/20th/p02.html
によると男性が18年、女性が23年とのことです。すると、65歳から年金をもらうとして、男性の場合で、3,600 万円、女性の場合で 4,600 万円となります。
国民年金は平均 60 万円くらいもらえるようです。
http://allabout.co.jp/finance/gc/12085/
とすると、同じく65歳から年金をもらうとして、男性の場合で、1,080 万円、女性の場合で 1,380 万円となります。
もらえる年金は、意外に少ないのですね。
こう考えてくると、子供を育てなかった人は、年金ゼロでもいいかもしれません。それでは生活できないという人もいるかもしれないし、年金保険料を25年以上も払って1円ももらえないというのもおかしいと思いますので、ざっと概算で、年金を半額にするというところでいかがでしょうか。
これでいくつかのいい影響がありそうです。
第1に、年金の積立金不足がかなり解消できるでしょう。
第2に、少しは、少子化対策になるかもしれません。子供をもうける方がトクということになります。年金をもらうために子供をもうけるというのも変な話ですが、誰も子供を産まなければ、年金の支え手(保険料の支払者)がいなくなるというのも事実です。
一方、この制度の設計上、問題になりそうなこともあります。
第1に、こういう制度にすると、年金を受領し始めるときの資格認定として子供がいることの証明が必要になります。しかし、これは戸籍でわかります。子供が先に死んでいる場合でも(除籍されてはいるものの)記録は残っています。離婚してもOKです。
第2に、子供が(病気その他で)働けない場合、どうするかという問題もあります。しかし、それは問わないことにしましょう。子供が外国に行ってしまって、日本に年金保険料を納めていないケースも出てくるでしょうが、それも問わないことにしましょう。
第3に、子供の数による減額の多少の問題です。子供の数が1人か、2人かで子育ての負担が変わってきますが、子供の人数による違いは無視してもいいでしょう。子供が増えても、子育ての負担は人数に比例倍するわけではなく、少し増えるだけです。
第4に、子どもを産んだあと育児放棄した人などをどう扱うかという問題もあります。しかし、これも、施設などで育てて、そういう子供が大きくなれば働くようになる(そして年金保険料を払う)と考えれば、それはそれでいいでしょう。
第5に、養子の問題もあるかもしれません。が、とりあえず、養子も実子も区別しないことでいいのではないでしょうか。
第6に、国民年金の未納率がさらに高くなる問題があります。子供がいない人は、年金をもらう意味がいよいよ少なくなりますから、払ってもムダだという感覚になるでしょう。それを防ぐためには、国民年金の保険料を消費税でまかなうことが必要でしょう。
第7に、ニセの出生届が大量に出される(かもしれない)という問題があります。さすがにそれはないと思いますが、わかりません。
第8に、子供を産んで、戸籍に記載したら、あとは捨ててしまう(病院や福祉施設に置き去りとか)例が増えるかもしれません。
この方式で、何か他に乙が気づいていない欠陥があれば、ご指摘ください。
ちょっと考えてみると、デメリットもあるけれど、メリットが大きいように思えてきました。
子育ては、苦痛ではなく楽しみです。
子供からはたくさんの幸せをもらえるので不公平とは思いません。
そういう家庭は年金貰う前の出費のほうが問題ですから…
あとは不妊治療に励む夫婦もいる事だし、生殖能力ありきの制度になっちゃってます。。。
と、批判的になってしまってますが、気づいたことを挙げてみました。
でも子育てした世帯が国に貢献しているのは間違いないです。その意味では子育て負担をゼロにもっていくのが良いのではないのかなと…
おっしゃることはわかります。乙も子育てを経験しましたので。
しかし、みんなが子育てが楽しい、幸せだと考えるならば、なぜ少子化が起こるのでしょうか。これは日本だけでなく、多くの先進国に当てはまる社会現象のようです。
とすると、子育てが楽しい一方で、そうではない事情がありそうです。
ここでは、あくまで年金問題に焦点を当てて考えてみました。幸せは金銭で計れないですから、考察の対象外です。
貧困対策は年金とかなり関連する問題ではありますが、ここではあえて無視しています。年金についてだけ考えるということです。
過去の大盤振る舞いの影響で、年金が破綻しそうで(実際、年金会計は債務超過に陥っていると考えられます)、これから、支給開始年齢を繰り上げたり、支給額を減らしたり、年金保険料を上げたりという「改正」がやってくると思われます。
そのときの視点の一つとして、子供の有無によって年金支給額を変えたらどうかと思ったということです。
子育て負担をゼロにするのは、必ずしも正しいとは思いません。我が子にはさらなる成長を期待していろいろとお金をかけたいという人もいるからです。
批判的な意見が多いようですが、私は乙さんの考え方に賛成です。さらに、一歩進めて、子が親の(少なくとも経済的な)老後の面倒をみることを義務化したうえで、中間コストの高い現行の年金制度を廃止してはどうかと思います。この場合、親子関係にはいろいろあると思うので、義務が課される範囲として、「親から面倒をみてもらった範囲」とか「社会通念上の相当の範囲」とかといった一定の歯止めは必要になると思いますが。
経済的な理由で、子供を育てられず、自前で貯蓄することも難しい人に対しては、年金制度が無くとも、現行の生活保護制度の枠組みの範囲内で最低限の老後の生活保障を行うことは可能だと思います。
>という議論もわかりますが)現役世代が
>高齢者を支える形になっています
そんなことを考えるより(思考実験とし
てならいいですが)、ここを改めるのが
一番でしょう。
賦課方式の限界なんて私が80年に読んだ
「少年朝日年鑑」でも将来の破たんとして
指摘されていたのにそれを改めなかった
政治家・官僚そしてそれに依存していた
国民がバカだと思ってます。
年金制度の廃止ですか。
子供が親のめんどうを見てきた歴史があり、その後、それでは問題がある(子供のいない人でも安心して老後が迎えられる)からということで年金制度ができたわけですから、それを元に戻すのはどうでしょうか。
最近は、親の方も、子供のめんどうにならないようにという意識が強くなっています(最近もそういう調査結果を新聞で見かけました)から、年金制度の廃止は多くの人の意見に反するもののように思います。
賦課方式では少子化に対応できないのはその通りで、それを積立方式にすることには基本的に賛成です。
とはいえ、それでいい(それがいい)という国民的合意ができるまでは、相当な困難がありそうに思います。
10年や20年では実現しないのではないかとすら思います。
とすると、根本的な「改革」の前に、当面の仕組みをどう維持するかという小手先の(あまり本質的でない)手直しを行いつつ、現行制度を続けるしかないと思います。
そのとき、選択肢の一つとして、記事本文に書いたようなことも考えられるのではないかと思った次第です。
それをやるのであれば、子供を意図的に作らなかった人と、子供が欲しかったんだけど授からなかった人を区分する必要が出てきます。
授からなかった人まで年金減額ではかわいそうですから。
となると、そんな証明は事実上不可能ですから、乙様の考察そのままでは難しいでしょう。
「子供を意図的に作らなかった人と、子供が欲しかったんだけど授からなかった人」を区別するのは不可能です。
したがって、努力して授からなかった人も年金減額の対象になります。
比喩として、いいかどうかわかりませんが、大学などの入学試験のようなものでも、はじめから受験しようとも思わなかった人も、長期にわたって継続的に努力して、結果的に不合格になった人も、入学しなかったという事実は同じです。
「子供を産んで育てた人と、子供を育てなかった人が同じ金額の年金をもらうのは不合理」と言い、
コメント欄では
「(子供のいない人でも安心して老後が迎えられる)からということで年金制度」と、
正反対のことを仰っている様に思いますが、矛盾していませんか?
矛盾していないと思います。
年金制度は、子供がいない人でも(もちろんいる人でも)安心して老後が迎えられるようにするもので、本文で述べたことは、年金の受領額を子供の有無で差をつけようという趣旨で、年金制度をやめようということではありません。
年金ゼロはまずい(年金の意味がない)ので「半額」と言っています。(この点は、あまりはっきりした根拠はありません。)
今の年金受領額の半額では老後が安心できないと感じるとしても、お金がなければ払えないわけですから、減額はしかたがないし、どこを減額するかと考えるときに「子供のいない人」を減額の対象にするべきだと主張しました。
もちろん、支給額減額でなく、年金保険料の増額とか、別の手段も考えられるところです。具体的にどういう仕組みにして、誰が泣くことになるかは、制度設計上の問題であり、国民が(具体的には国民から選ばれ託された政治家が)決めることでしょう。
子宮外妊娠で 子宮破裂。一年近く寝たきりでした。2年後離婚しました。
若くして子宮を失った 後遺症と戦いながらも 五年後からやっと働けましたが 条件も悪く国民年金にしか入れていません。
一年30万円で 暮らせとおっしゃるのは・・・・
何の罰でしょうか?
今回の記事は、あくまで年金に限った話で、しかもマクロに考えているので、個々人の事情を斟酌していません。
個々に困った事情の人がいるのは当然のことですが、それは、年金とは別に考えるべきことでしょう。
子供を産み育てることにコストが掛かる不公平感を是正する1つの方策が、賛否は置いておいて「こども手当」の支給だと思います。
子供のあるなしで区別するなら、より実質的に遺産を相続して生活に余裕のある人や預貯金だけで死ぬまで賄えそうな人、などを支給対象外にする方がまだ真っ当かと思います。
少子化により、前の世代を後の世代が支える仕組みが機能しなくなるなら、「お年寄り」を「年齢に関係なく余裕のある人」が支えるしかないと思います。
生活に困るお年寄りを、生活に全く困らないお年寄りにも支えてもらう方策が必要だと思います。
具体策としては溜め込んだ資産に課税して年金に廻せば、結果資産の多いお年寄りが資産のないお年寄りを支える仕組みが出来ると思います。
>という国民的合意ができるまでは、
>相当な困難がありそうに思います。
まあ、私の感覚では、子供に関しての方法で
国民的合意をつくるほうが相当困難かと
思いますがね。賦課方式やめるほうがよっぽ
ど合理的で多数合意作成しやすいと感じます。
まあ、Blog主さんは正規社員雇用の流動化
に関しても、年金制度に関しても、自らの
ポジショントークがあまりにも強く、
それでいてそれを恥ずかしげもなく
主張できるところがおちゃめだと思います
が。(悪い意味ではないですよ。愛読者
ですから。)
「より実質的に遺産を相続して生活に余裕のある人や預貯金だけで死ぬまで賄えそうな人」を決める困難さがあると思います。どうやって該当者を決めたらいいのでしょうか。国家が個人の資産を全部きちんと把握できるでしょうか。
それに比べると、子供の有無のほうは簡単に決められます。
「生活に困るお年寄りを生活に全く困らないお年寄りにも支えてもらう」ために資産課税するとなれば、今でも税金が高いと思われるのに、今後ますます税金が高くなるわけで、そろそろ国外脱出を考える方がよさそうです。
数億円以上の財産がある人なら、日本に住んでいて税金で持って行かれるよりは、PT となって世界中をフラフラするとか、税金の安い国に引っ越すほうがずっと現実的です。税金が高くなれば、あまり資産を持っていない人までが国外に脱出することになりそうです。
ネットが発達してくると、郵便で連絡するための「住所」は不要になり、メールアドレスだけあれば、本人がどこにいても連絡が付くようになります。
それぞれ独立した問題だとすれば、それぞれ独立に解決していけば良いですが、絡められると先の意見にあるように両方の問題に対して国民的合意を得られるような方策が必要になり、とても現実的な気がしないです。
初めに、そこまで子供を育てるのが負担であれば、子供をつくらなければ良いのでは?
そこに楽しみもあったから、子供をつくったのでは?
子供のない人が、子供のある人につくってくれと頼んだとでも?自分で勝手につくったんでは?
もし制度が変わらなければ、自分の子供に、君をつくったのは本当に大変でした。君を産んだのは金銭的に失敗でした、と言うのでしょうか?
子供を社会の共有財産という位置付けにするのであれば、その子供が稼いだお金は、年金分だけでなく、それ以外もすべて社会の共有財産にしなくては、制度上差をつけられた方は納得できないでしょう。
その子供が自分の生活費と年金だけですべて所得が消えてしまい、自分の親には1円分のプレゼントも出来ないと言うのでしょうか?
そこまで子供のある方に、上から目線で、子供を俺達が作ったんだから、お前達が年金をもらえるんだ、と言われるくらいであれば、利息抜きの元返しで結構ですので、年金制度から離脱させてもらいたいものです。もちろん、税金分も返してもらいたいし、将来分も払いたくないですね。
賦課方式のもとでは、少子高齢化が年金問題を起こすと考えます。
しかし、少子化の傾向に歯止めがかかったとしても、少子高齢化の方向性はすぐには止まりません。その子供が働いて年金保険料を払い始めるまで、二十数年はかかるからです。
とはいえ、50年先、100年先を考えれば、少子化が止まれば年金問題はいくぶんかは和らぐと思います。
議論の筋がずれているように思います。
乙は、子供を作るかどうかを正面から論じているわけではありません。年金のあり方を考える方が先で、どのように支給額を減らすかを考えた場合の一つのアイディアを示したまでです。結果的に少子化対策の面があるかもとは思っていますが。
子供が社会の共有財産かどうかも議論がありそうです。乙は「共有財産」という言い方に引っかかりますが、まあそれも問わないことにしましょう。
子供が稼いだお金を共有にしようという話も、筋がずれています。税金や年金保険料として自分の収入の一部を払うだけです。
支給額を減らすアイデアの中で、
子供の有無によって差をつけるというプランを出されるのであれば、
子供をつくることの意味にも触れる必要があると思いますが。
共有財産という言い方にも問題があるとは思いません。
子供が年金を負担してくれるのだから、その親には報いるべきだという意見は他でも散見しますけど、
それであれば、いっそのことすべて共有としてしまえば、負担もリターンも公平だと思います。
一部に区分けすると、またそれで負担感に差異が生じます。
正直言えば、このような議論は不毛であって、
年金制度自体を止めてしまえば、
子供の有無についてお金の損得で語る必要はなくなると思います。
ゲイやレズビアンなど、
セクシュアルマイノリティの多くは、
子どもを作りませんし作れませんが・・・
その他にも、子どもを産みたくても(色んな事情で)産めない人は沢山居るようです。
「年金問題」を解消するという意味ではメリットもあるように思えますが、それ以外の人道的な部分でのデメリットが計り知れないように感じられましたので思わず・・・失礼致しました。
今回の乙様の発想は、まるでこの国が統制経済体制、社会主義体制へ移行することを容認しているかのようです。
少なくともこの国では、人にはそれぞれライフスタイルの自由があります。
子育てを至上の幸福とするものから子育てよりも個人の嗜好を優先するものまで、多種多様な価値観が存在するからこそ現在のこの国の存在意義もあるのだと思います。
そうでありますから、この国が少子超高齢社会となったのも、この国の国民が自由主義、資本主義を志向する以上、仕方のないことですし、すべての国民の総意として選択したことともいえるわけです。
少子化も高齢化も、どんな施策を打ってもおそらくは止められないでしょうし、それ以上に国家はすべての国民の選択の自由を奪うことはできるはずもありません。
そもそも年金制度の本質的な問題は、「世代間の不公平」と「将来の高負担低受益」、でしょう。
これらを解決するには、まずは高齢者も含めた年金制度等の社会保障制度の既得権益者らから必要以上の権益を剥奪する、または放棄させることから始めるべきであり、様々な事情で過去に子育てしなかったもしくはできなかった高齢者の年金受益権を制限することでこれらの問題を抜本的に解決することができるとは到底思えませんし、そうなるようであれば、もはやこの国は自由資本主義国家とは呼べないものと思います。
子供を作る意味は、とても簡単に述べられるものではなく、人生観・価値観に関わることでもあり、乙はそういう議論にはとても入れないと思っています。
したがって、そういうことには触れず、今の制度を少しだけいじることを考えました。
年金制度自体を止めるというのも一つの方法なのですが、それは、完全積立方式に移行するのと同様、制度設計を根本的に変えることになります。
将来的な問題としてそういう議論をしてもいいと思いますが、年金における当面の積立金不足に対処するには間に合わないでしょう。
人道的なデメリットですか。
今回の話は、そんなに大きなデメリットなのでしょうか。
子ども手当のように、子供がいる人を優遇する制度はいろいろありますが、そういう諸制度にも人道的なデメリットがあるのでしょうか。
乙も、このアイディアで「抜本的に解決できる」とは思っていません。しかし、「当面の手直し」程度でも、年金の破綻を先延ばしにする効果はあろうかと思いました。
また、「統制経済体制」に移行しようというような大それた考えでもありません。しかし、少しは「色」をつけることで、誘導する効果はあるように思っています。
このくらいのことは、日常茶飯事です。
年金問題の関連でいえば、専業主婦(いわゆる3号)の問題もあるわけで、これなどははっきりいって専業主婦優遇政策でしょう。そういう制度があることで、国が専業主婦になるように誘導しているような制度です。話がずれるので、ここではあまり触れませんが、このように制度を設計し、いじって手直しすることで、少しだけ誘導することは、自由主義の中でもごく当たり前に行われてきています。
もしかして、乙の言い方が問題で、子供がいる人には年金を増額するといえばよかったのでしょうか。全体の支給額を減らした上で、そのようにすれば、結果的に同じことなのですが、……。
今回のエントリーでは(も)、
色々と考えさせられました。
あまり長々とコメント欄を汚すのもアレなので、
自分のブログにも記事を書いてみました。
ありがとうございました。
結論として反対なのですが、非常に興味深いエントリーなので再コメントいたします。
>「当面の手直し」程度でも、年金の破綻を先延ばしにする効果はあろうかと思いました。
移行期だとして当面の手直しを考慮する余裕が本当にあると思われますか。
各種データを観察する限り、現年金制度も日本の経済状態もそのような悠長な事態ではないと思います。
また、このような当面の手直しがサンクコスト化するのがこの国の常です。
この国で一旦できた既得権は容易には剥奪できないことは民官共通であり、ひいては国民性でしょう。
>「統制経済体制」に移行しようというような大それた考えでもありません。しかし、少しは「色」をつけることで、誘導する効果はあるように思っています。
そういう誘導を狙うこと(あからさまではないが仕組みを都合よく潜在させる「やわらかな社会主義」)が、統制経済だというのです。
旧来「やわらかな社会主義」を強いても日本社会が成長し先進国でありえたのは、日米安保の下経済成長に集中でき、労働力人口が増加し続けたからです。
しかしながら、今後米国の経済成長率が低下することが予想され、しかも95年以降労働力人口が減少し始めた今、なおさら規制や各種優遇策を解除することが必要なのだと思います。
>このくらいのことは、日常茶飯事です。
年金問題の関連でいえば、専業主婦(いわゆる3号)の問題もあるわけで、これなどははっきりいって専業主婦優遇政策でしょう。そういう制度があることで、国が専業主婦になるように誘導しているような制度です。
上記した通り、すでにそういう優遇策も解除する時機がやってきたのだと思いますし、税制上の「配偶者控除」等専業主婦を優遇する施策の解除は早晩なされるはずです。
>話がずれるので、ここではあまり触れませんが、このように制度を設計し、いじって手直しすることで、少しだけ誘導することは、自由主義の中でもごく当たり前に行われてきています。
それは違います。
この国が自由主義の仮面を被った、各既得権者らを保守するための「やわらかな社会主義」国であり、そのように設計された制度らが累々と存在するということであり、自由主義各国共通の施策ではありません(仔細は割愛します。)。
そういう制度らが社会環境が変化してすでに機能不全になっているにもかかわらず強いて存続し続けることが問題なのです。
古典的自由主義の不都合性を修正する福祉主義は是としますが、それを具体化した制度の中には時代に合わないから廃止すべきものがある、そのひとつが「配偶者控除」だったりするということです。
現年金制度もそのひとつだということです。
すべては、既得権化した地位を保守すべく時代のスピードについていけないこの国の属性の問題なのだと思います。
>もしかして、乙の言い方が問題で、子供がいる人には年金を増額するといえばよかったのでしょうか。全体の支給額を減らした上で、そのようにすれば、結果的に同じことなのですが、……。
いずれにして、福祉主義の枠を超えた愚策だと思います。
子を持つ持たないという極めて個人のライフスタイルの問題を直接的であれ間接的であれ国の社会保障政策で制限するなどということは、本来自由主義の枠内であるべき福祉主義を逸脱する名ばかりの福祉主義というものだと思う次第です。
ものの見方に関する議論ですので、お互いの間の合意点を見つけるのは困難なように思います。
>移行期だとして当面の手直しを考慮する余裕が本当にあると思われますか。
実は余裕がないのかもしれません。乙の提案する手直しでは間に合わない(年金制度が破綻してしまう)可能性もあります。
しかし、国民の多数が合意するような抜本的な改革案は、それこそそう簡単にはできないとも思っています。今の国会議員や総理大臣を見ていても、とうていそんなことができそうに思えません。
あれこれ議論してばかりで、まとまらない、それが数年ないし10年くらいは続くでしょう。その間にも、現行の制度は続くわけで、矛盾はいよいよ大きくなります。その中で多くの人々が現実に生活しているわけですから、合意ができそうなところから「改革・改良」しつつ、抜本的なことは長い時間をかけて議論するしかないのではないかと思っています。
>この国で一旦できた既得権は容易には剥奪できないことは民官共通であり、ひいては国民性でしょう。
これは賛成します。したがって、抜本的な年金改革は非常に困難だと思っています。
年金の専業主婦優遇や税制上の配偶者控除をやめるような大改革(いや、後者は大したことではないかもしれません)が行われるならば、乙が提案したような話は吹き飛んでしまいそうです。もともと、現状を少しだけいじろうという発想ですから。
そもそも、そうやって少しずつ変えていこうというやり方が問題だとするなら、話はまったく違ったものになってしまいます。
理想論を語ることも必要ですが、現状もあるわけで、一気に理想を実現することだけが未来をひらくとは限りません。
このあたりで、お互いに合意できないのだろうと思います。
乙の提案は、理想論でも何でもなく、現状追認主義で、少しだけ改善しようという発想から来ています。そのほうが合意が得られやすいと考えての上です。理想論を基準にすれば「愚策」に見えるでしょう。しかし、現状追認主義だからこそ実現可能性は高いと思った次第です。
(現在の価値で)3000万とも4000万ともそれ以上ともいわれる「子育て費用」に対して、いくばくかの制度的な補助がある、あるいは補助が必要というのは、とにかく子育てにお金がかかってしまうこの国では必要なもののように思えますが、それは恐らくそれらの補助が少なくとも名目上は「現にいる子」に対するもののように解釈できるからではないかと感じています。
それに対して、年金と子育てとの間に因果関係に近い関連を持たせるのは、「子育て」という事実、もしくは「世代を再生産した」という事実に対する「見返り」のように解釈されうるので、つまり子育てをすることが自分の老後の原資となる、ということになり、打算的といいますか何と言いますか、やはりそこには人道的な問題があるのではないかと感じました。
それとも子育てとはそういうものなんでしょうか。
なるほど。子育てと年金受領の関係が直接的でないために、人道的な問題が生じうるというご説明は納得できます。
しかし、子供の有無が老後資金の多少に関わる面があることも事実なので、それを少し考慮したらどうかという面もあるかと思いました。
セクシュアルマイノリティや、さまざまな障害・病気・事故などで子供が産めない人がいるのはその通りですが、乙の考え方はそういう人に冷たいと映るのですね。
後から考えてみると、そういう面があるのは事実です。
ただ、ほんの数百万円ないし 2,000 万円くらいの差をつけよう(実際に実現するとなれば、もっと差が小さくなるかもしれませんが)というアイディアに対し、強い反対意見があることに驚きました。
そういう中で、舵取りをしていかなければならない政治家たちは大変なことだなあと、改めて思いました。
折しも国勢調査がありますが、そのパンフレットに人口ピラミッドがのっているのを見られたでしょうか。超高齢化社会が来るのは誰が見ても明らかです。真剣に、この国に将来があるのか、今の内に海外に資産を移さないとまずいのではないかと心配になってきます。
老後は援助するから現在の資産を社会を支える若い世代に使って下さい、というポリシーは賛成します。
子供に恵まれなかった、、、等々ありますが、残念な例外はいくらでもあります。その方は、子育て分の経費を貯蓄に回して備えていただくのですね。災害だって大規模災害は援助があるけど、小規模は援助がないのと同じです。完璧なシステムなどないです。世の中不公平なものです。
ただ、積立型の年金システムなら、積立比例にすべきでしょうね。現在の世代間扶養システムならなおさら消費税を考慮しなくてはいけないでしょう。
人口ピラミッドを見る限り、勤労世代の絶対数は少なく、所得税はもう限界ですよ。やはり消費税しかないと思います。
最後に高福祉といわれるには、高負担もそうですが、高福祉国家の一見冷徹な現実も忘れてはいけません。高福祉国家でもある年齢を超えると受けられる医療が限定されてきます。それ以上は希望するなら自費で、、、というのが現実で、認知症などで自分で食事がとれなくなれば、生物として「終わり」の手続きがとられます。
話がずれましたが、生活保護程度の年金は平等に(けずっても結局生活保護になれば同じ)、それ以上はなにかの色づけがあってもしかるべきと思います。別にそれが子供の数がすべてとは思いませんが、アイディアの一つとは思います。
賛成派からのコメントはうれしいものです。
乙も、年金を「子供の数だけで決める」と主張しているわけではないのですが、いろいろ加算や控除やら計算するときの一つの要素として子供の有無を付け加えられると考えています。
子供を育てるのは、経済的に相当負担がかかりますので、子供を育てていない方より年金を多く貰って当然という考え方です。
でも、結婚できなかった方々、不妊症の方々からの反発の声は大きいようです。
確定給付型(現行制度)から確定拠出型(積み立てた金額及び個人責任による運用結果に応じて受取年金額が変動)に移行すべきだと思います。一気に変更するのではなく、確定給付型と確定拠出型と併用し、5年毎に確定拠出型の割合を10%ずつ引き上げるのが現実的だと思います。
>ものの見方に関する議論ですので、お互いの間の合意点を見つけるのは困難なように思います。
そう仰られると身も蓋もないのですが、要は、現状認識の違いもあるのだと思いました。
私は40半ばで妻子持ちですが、おそらく乙様とこの点でほぼ共通するのでしょうが、私の場合が、2100年前後のこの国の社会保障のあり方、まさに100年安心しうる制度のあり方を現在の各種データを下にその持続可能性を模索したわけですが、乙様の場合は、今できそうな対処論的な施策をご自身の老後の安心ベースでご提案されたのだろうと納得いたしました。
そして、私の言説は、乙様が仰る通りこれもものの見方の違いということでしょうが、決して人権論的な理想論ではなく、本当に稚拙ではありますが、私の子、孫の世代までを見据えてのこの国の行く末を非常に憂えている必死な一庶民の心からの現実論であると自負しております。
ちなみに、乙様のいわれる現状追認主義で現制度の100年以上の持続可能性を考慮しての提案であれば、被保険者すべての「保険料の大幅な引き上げ」かつ現受給者の「受給額の大幅な引き下げ」を断続的に断行すること、しかないように思う次第です。
いずれにしても、何をするにしても政治的決断が非常に遅くかつサンクコスト的な思考の蔓延したこの国では、何をやっても持続可能性のある制度を設計することは非常に難しいのだろうと諦観しております。
乙も、年金を賦課方式から積立方式に移行するのが(少子化対策も含めた)抜本的な解決策だと思っています。
しかし、それはそれでハードルが高いと感じています。
現行制度から新制度に次第に移行していくとして、今の全国民の合意を得るだけでもむずかしいのに、今度は、新しく産まれてくる人たちの合意も継続的に取りつけなければならない(さもないと、将来、法改正などで再度ひっくり返されるかもしれない)ということです。
さて、こういうことで年金制度改正ができるでしょうか。
不可能とは言いませんが、きわめて困難だろうと思います。
特に、既得権を持っている高齢層が人口が多く、選挙での投票率も高い現状、そして将来的に少子化が続くとすればこの現状はかなり固定的だと予想されますが、そういうことを考慮すると、何とも不可能に近いのではないかと感じています。
今の高齢層は、何十年も年金保険料を払ってその上の世代を支えてきた人たちですが、いざ、自分たちが年金をもらう番になったら、その下の世代の人たちから「高齢者の分は払わない。自分たちは自分たちの分を積み立てるから」と言われると、怒りが収まらないだろうと思います。
今回のコメントを読むと、乙との間に根本的な意見の相違があるのとは違うような気がしてきました。
実は同じようなことを考えていて、その先が少し違うだけという位置づけです。
たびたびのコメント、ありがとうございました。
子供がほしかったけどできなかったとか結婚したいけどできなかったとか感情的な部分を言ってるのではなく、
子育てしている夫婦が現在のリタイア世代と将来に年金を支える世代の費用を二重に負担しているから多くもらうべきということだと思いますが、少子化対策にもなりいいと思います。
現在は賦課方式だからこの案を支持するわけで、完全に積み立て方式に移行すればそれも必要ないと思います。
また一人賛成意見が増えたようですが、この問題をめぐっては意見が分かれることがよくわかります。
理想的には積立方式がいいと思いますが、なかなか実施できないだろうという「読み」です。
もっとも、妻にこの話をしたら、妻は「反対」と言っていました。
この手の話は子供の価値とか意味とか論じてる訳ではないのに、どうも感情的な話になってしまうようです。
賦課方式がねずみ講である以上次の世代を増やす必要があり、経済的問題が子供を何人もうけるかということに影響してくる以上その負担を少しでも和らげることができたらいいと思いました。
現役世代の積立金をくって、更に毎年多額の国庫負担が注ぎ込まれてる(たとえば、満額で年80万円ほどになる国民年金の半分は国庫負担)って、年金ちょっと手厚すぎ。
その国庫負担分を削って子ども手当を増やす財源に回せば、乙川さまのいうところの「子供を育てた人は、そのために数千万円を消費してしまったのに対し、子供を育てなかった人は、その分を預貯金(あるいは投資)に回して老後資金を多めに確保できる」不公平を少し和らげることができそう。。。なんて思うのですが。
国民年金の支給額のうち半分は国庫負担というのは、現状でそう決まっていることなので、それを削ることは年金の支給額を減らすことになり、受け取っている側の反発が大きそうです。
ajo 様の提案は、今の年金受給者と今の子育て現役者の間での所得移転案ということになりますが、乙の提案は、今の年金受給者のうちの子供のいない人と現在および今後の子供のいる年金受給者の間での所得移転案ということになります。
ということで、ちょっと趣旨が異なります。
受給者間での所得移転という趣旨だと、たしかに違います。失礼いたしました。子どもの有無で差を付ける趣旨には賛成です。子育て支援だと、既に子育ての終わってる世代にはなんの恩恵もありませんし。
ただ、今の受給者で子どものいない人の支給額を減らすのは、反発が大きく難しそうです(遡って子どもをつくる訳にはいかないので)。もしやるとしたらたとえば「平成47年度受給開始分から段階的に」みたいな遠い先の話になってしまうんでしょうか。ちょっと遅すぎますよね(笑)
いつから制度を適用するかという問題を見落としておりました(笑)。
ajo 様のおっしゃるような悠長なことをしていたら、年金制度をとりあえず先延ばしするという趣旨に合わないので、すぐにでも適用することになると思います。
ということだと、いかにも反発が大きそうな案ですね。
やっぱり無理ですかね。
個人的には反対です。
まず、年金問題の根本解決のための急激な変化は難しいとのことですが、この案の変化(約束された受給額と違う半額)も激変で十分に問題だと思います。
ajoさんも書かれていますが、いきなり来年から半額というのはさすがに反対が多いかと。
確かにゆとりがあるのかもしれませんが、年金がもらえることが前提になっていればそれを含んで生活設計を立てているはずなので、後になってから突然「そのお金を貯めておけばよかった」と言われてもさすがにそれは無理があります。
また、子どもを産むと年金受給額が増えても、少子化対策として子ども産み育てるインセンティブとしての効果は薄いと思います。
子育て世代が困っているのは子育て時代の"今"のお金です。20代の人が今からお金をもらえるなら産み育てたとしても、65歳以降の話なんてされても現実味も有難味もありません。行動経済学などでも短期的なインセンティブの方を重視する人が多いという見解が出ていますし、遠い将来にインセンティブを与えるというのは効果を薄めそうです。
どうせ劇的変化をするなら年金受給額は子どもの有無にかかわらず一律カットで、子育て世代へのその時点での支給額を増やす方がいいように思います。(年金額カットについても子どもがいる人だけカットされないという不公平なカットよりは、一律カットの方が抵抗も多少は小さいでしょう)
乙の案も激変だということと、少子化対策に有効でないとのご意見をいただきました。
確かにそんな気もしてきました。
まあ、制度がそう簡単に変えられず、したがって今のままでは年金が破綻するわけですが、そうなってしまえば、もっとドラスティックな案が採用されそうに思います。
少子化対策としては、数十年先の話をしてもダメですね。
今の子ども手当のような現役世代に対するものでさえ、本当に少子化対策になるのかどうか、アヤシイくらいですから。