http://www.tachibana-akira.com/2011/01/1888/
リバタリアニズムの立場で日本の姿を見直すと、あれもいらない、これもいらない、ということになります。民間にできることは民間にやらせるというだけで、政府の姿は劇的に変わります。結果的に、きわめて小さな政府になります。税金も安くなるはずです。公務員は激減しますが、そういう人たちは、新しくできる民間企業で働くことで、単純に「失業」ということにはなりません。
これは一つの理想郷のように思います。
小さな政府にするということは、安上がりな政府にするということです。こういう社会が実現して喜ぶのは、富裕層でしょう。今は多額の税金を取られて、見返りはわずかしかない(人並みですが)状態です。一方、低所得層は、あまり税金を取られずに、人並みのサービスが受けられます。大きな政府になればなるほど、富裕層から低所得層への所得の移転が多くなると考えられます。小さな政府はその反対です。
さて、日本人がこんなリバタリアニズムの貫徹した社会を志向するでしょうか。
日本人の多数は、こんな日本に賛成するとも思えないのですが、乙は、今後の日本の進むべきあり方の一つを示しているように思いました。
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橘玲氏の見解についてはほぼ手放しで賛同しています。
おそらく私はリバタリアンでしょう(笑)。
そんなリバタリアンから見る現在の我が国は、国民総レイムダック、つまり軸の定まらない輩の集合体のようです。
閉塞感が常態化しているにもかかわらず誰もが誰かに依存したがる国民性といいましょうか、刹那主義といいましょうか、国家観の欠如といいましょうか、今後我が国をどうしたいのかといったことを語り合うことを躊躇する国民性はどうにかならないものかと常々思っています。
つまるところ「我が国を小さな政府にしたいのか大きな政府にしたいのか」という議論に集約されるのだと思うのですが、それ以前に、政府の存在意義や小さい大きいの意味すら分からないのでは何をもって教育、教養レベルが高いというのかとため息が出るばかり・・・。
「そんなおまえはどうなんだ!」と責められれば、何とも言いようがないのですが(笑)。
現在我が国にないもの、それは正々堂々と理想や物語を語る勇気、ケインズのいうところの「アニマルスピリット」なのだと思う次第です。
リバタリアンは、リバタリアンで、すっきりとした主張で、わかりやすいと思います。
そのような目で人々の考え方や行動を見ると、何とも不可解な気分になります。
かといって、それが現実である以上、理想を語っても、なかなか受け入れてもらうことは困難でしょう。
地道な改革しかないように思います。