2011年03月01日

国のバラマキは悪いっしょ

 「吊られた男の投資ブログ (一般人の投資生活)」にあった記事で「国のバラマキは悪くないっしょ」というものがありました。
http://blog.livedoor.jp/tsurao/archives/1594392.html
 その趣旨は国の資金のバラマキは、それでいいのだというものです。政府が富の再分配でいろいろやっても、結局計画経済のようなもので、うまくいかないことから、国が使途を決めるのでなくバラマキがいいのだということです。政府が将来有望な分野へ資金を投じるなどというのも難しい話で、政府に将来が有望な分野を見極める能力があるのかと疑問を投げています。
 乙は、この趣旨に違和感を感じました。
 なお、この議論の元は乙のブログ記事「日本の成長戦略とは」
2011.2.14 http://otsu.seesaa.net/article/185801658.html
ですので、こちらも合わせて御参照ください。

 以下では、乙の考え方をメモしておきます。

(1)バラマキから計画経済まで、すべては程度問題である。
 程度問題ではありますが、その「程度」をおおざっぱに並べると、以下のような順序になりそうです。
(1) 完全なバラマキ(ベーシック・インカム)
(2) 範囲を絞った共通ルールに基づくバラマキ
(3) 申請を審査した補助金・支援策
(4) 重要産業を国が支援
(5) 重要産業を国が設置・運営
(6) 国が全経済を計画・遂行・評価
 乙は、完全なバラマキには懐疑的です。今回の成長戦略は (3) レベルに該当するように思います。

(2)子ども手当はバラマキであるが、完全なバラマキではない。
 「吊られた男」さんは、子ども手当をバラマキの例としていますが、それだって完全なバラマキでなく、子育てをしている家庭を選んで優遇してそこに資金をつぎ込んでいます。

(3)補助金等は、何らかの審査・評価を経て行うほうが(無審査・無評価よりは)マシである。
 乙の知り合いからの情報ですが、ある助成財団の研究助成(若手研究者多数が応募してくる)の審査をしてみると、専門分野が異なる審査員(年配の研究者)がほぼ一致する評価結果を出したという話があります。財団としては、そういう研究に助成するというわけです。
 起業プランなども同様ではないでしょうか。
 審査なしにばらまくよりは審査してもっともらしいものに配分するほうが効果的であろうと思います。

(4)審査なしでは、大量の詐欺師が紛れ込んでくるので、制度が持たない。
 文部科学省による科学研究費の補助金が研究に有用だったかについては、両論ありますが、資金を配分する以上、研究計画を審査して高い評価の計画を採択するしかないと思います。
 審査が 100% 正しいことはないと思います。しかし、国が研究内容について指示しているわけではなく、研究者の自発的な研究計画を評価して研究費を配分するわけで、そのようなしくみは割とうまく機能していると思います。
 こういう競争は望ましいものと思います。

(5)ルール作りと規制緩和が必要なのは賛成。
 起業プランに補助金を出すことについて、しかるべきルール作りが必要なのはその通りでしょう。
 規制緩和は、今回の話とは別に、必要なことです。

 もっとも、こういう起業による成長戦略がうまくいくかどうかに関して、心配な面もあります。
 原悟克氏による「静かに報道される金融円滑化法の実態」
http://agora-web.jp/archives/1247324.html
によれば、中小企業向けの貸付の中に5兆円の不良資産があるという話です。
 単に補助金を出してもダメということでしょう。
 また、日経新聞2月28日朝刊3面に「中小企業向け融資 公的金融、1/4に迫る」という記事がありました。ネットでも記事全体が読めます。
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819694E0E4E2E2938DE0E5E2E0E0E2E3E39797EAE2E2E2;at=DGXZZO0195164008122009000000
 これからわかるように、中小企業向けの貸出残高252兆円のうち、政府が関与する融資が61兆円にもなり、1/4 という割合は政府が中小企業に関与している割合が十分に高いことを意味しています。ここで10兆円の成長戦略基金を作ったとしても、それだけではいい影響があるとはいえなそうです。やはり、どう起業を後押しするかというプランが大切なように思います。
posted by 乙 at 06:03| Comment(7) | TrackBack(0) | 投資関連の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
エントリーの紹介ありがとうございます。

コメントタイプが2つに分かれますので、2つに分けてコメントさせていただきます。まずは本題と関係ない細かい点から。


●完全なバラマキは無い。もし可能なら理想。
ベーシック・インカムも「(2) 範囲を絞った共通ルールに基づくバラマキ」になるかと思います。日本国籍なのか日本居住なのか住民登録が必要なのか、月1回の支給なのか金額が決まっているのか分かりませんが、どこかで範囲が絞られて共通ルールには従うはずです。例えばオーストラリア人観光客がふらっと観光で都庁を訪れてもらうことはできないでしょう。

"完全な"バラマキと言えるのは「必要な時に必要なだけ受け取ることができる」という共産主義の世界ではないかと思います。これこそまさに制限や条件なく分け前を受け取れる完全なバラマキです。ただし、生産力が無限大にならない限りは現実社会には現れないシステムです。
そのような完全なバラマキをバラマキと定義して、子ども手当等はバラマキの例としては少し違うというのは何か違うかと思います。
ベーシック・インカム推奨派ですが、ベーシック・インカムも子ども手当も定量的な測定可能な基準を満たせば対象という意味で同じレールの上に載っている仕組みだと思います。
そして、共産主義が理想とする完全なバラマキが可能ならばそれは理想世界です。
Posted by 吊られた男 at 2011年03月01日 21:16
以下が本題です。

●論点は「国」が審査の是非
まず論点が違っている気がします。私の論点は「審査をするか/しないか」ではありません。ポイントは「国が」審査を行うかという話です。
融資に一切審査不要というつもりはなく、今日私が「1000億円頂戴」とリクエストしただけで1000億円をもらえるのはおかしく、審査されるべきです。ただ、「国(国が審査員を選抜して審査させるも同じ)」が審査すべきかは別問題です。

●財団の審査の例≠国の審査の肯定
財団の審査の例を挙げられていますが、財団≠国です。世界各国でも研究助成についてもいろいろな財団や資金提供団体がありますが、ほとんどは国家機関ではありません。国以外の機関の審査が有効であることと国の審査が有効であることは話は別物でしょう。有名なビルゲイツ財団も財団ですが、ビルゲイツ財団の審査が有効だからと言ってアメリカ政府がチャリティーの審査をすべきというロジックは成り立ちません。

●民間がさじを投げた市場が成長戦略?
「(人材を)民間金融機関が集められないのは、そういうことをしようと思ってこなかったため」とありますが、なぜ民間企業がやる気がないのか?
カモを騙してでも手数料を稼ごうとするような企業がたくさんあります。そんな企業が「そういうことをしようと思ってこなかった」のが真だとすればそれはどうしてでしょう?そのビジネスにうまみが無いからです。投じた資金が2倍にも3倍にもなる魅力的な市場だったら、民間企業がやる気になります。中小企業に投資をしても旨みが無いと考えているから、そこに投資する気になれないのです。100を投じても90や80になってしまうか、儲かってもほとんど利益がでないと判断しているのです。そこ分野へ国が民間企業に替わって資金から審査から何まで行って参加することを「成長戦略」というのはおかしな話ではないでしょうか?
民間企業がやる気になれない分野に国が突撃して成長戦略だという論拠はどこにありますでしょうか?

●審査能力の高さ
審査はやる気になって一朝一夕にできるものではありません。民間でできないからと言って国がやればいいという結論は焦りすぎでしょう。民間がイマイチでも国の場合はイマニやイマサンかもしれません。
仮に昔にどこぞの金融機関で勤めていた人を審査官として雇ってもそれで国の審査力が民間を上回ることは無いでしょう。あまたのベンチャーキャピタルや金融機関にはその現役が多数在席しています。バリバリのコンサルタントやいくつもの企業立ち上げに関わってきた人材もいます。それに組織としての経験値が加わります。ゴールドマンサックスが優れているのは一個人の力ではなく組織としての分析能力が優れているのです。投資銀行やベンチャーキャピタルでも優秀な人材を常に探しています。それでも簡単にいい投資先を見つけて稼げるようになる企業は極一握りです。ゴールドマンサックスのような投資銀行などを差し置いて、国がやる気になれば有望な投資先を見つけられるというのは少し違うのではないでしょうか?


国がやるべきは、各金融機関に対抗する国策ファンドを1から立ち上げることではありません。投資銀行などが投資しないのは投資対象として魅力が無いからです。中小企業への融資を活発にしたいのであれば、彼らの審査能力を活用してもらうように誘導することが国の役割でしょう。中小企業融資に減税措置なり不良債権の扱いから除外したりとニンジンをぶら下げて彼らが参加するように促すべきです。そうすれば、彼らは自身の利益のために各中小企業の事業が有望かどうかをその審査能力を駆使して審査します。
「審査なしでは、大量の詐欺師が紛れ込んでくるので、制度が持たない。」とありますが、そんなに大量の詐欺師は来ないでしょう。従来の金融機関への優遇措置などと同じ範囲で十分です。特別な審査をしなくても「俺も投資銀行」なんて詐欺師はそうは入ってこないでしょう。もちろん、申請する中小企業側は国の審査など無くても民間の審査ではじかれます。


※このテーマはまだまだ掘り下げて書けそうですね。
Posted by 吊られた男 at 2011年03月01日 21:26
吊られた男様
 二つのコメント、ありがとうございます。
 長いコメントをお書きになるのは大変だったでしょうね。

 第1の点については、本日のブログ記事とも関連するのですが、「ベーシック・インカムも「(2) 範囲を絞った共通ルールに基づくバラマキ」になる」という趣旨は理解しました。
 乙は、ベーシック・インカム懐疑派なので、それと同じ意味で子ども手当にも懐疑的です。

>共産主義が理想とする完全なバラマキが可能ならばそれは理想世界です。

 むしろ、こちらを「完全なバラマキ」ということととらえるべきだということに賛成します。
 乙の例の出し方がまずかったと思います。(趣旨は、「要は程度問題」ということですので、まずいとは思っていませんが。)

 第2の点については、だいぶ意見が異なるようです。

>●論点は「国」が審査の是非
>●財団の審査の例≠国の審査の肯定

 乙は財団の例とともに文部科学省の科学研究費補助金の例を挙げましたが、前者が民間の財団の審査の例、後者は「国」の審査に該当します。しかし、審査の過程や基準が多少違っていても、両者で本質的な差があるとは思いません。民間の財団の審査が是であるならば、それと同じ趣旨で国の審査も是とするべきではないかと思います。
 科学研究費補助金の場合も、国(公務員)が直接審査しているわけではなく、研究者が審査している点がポイントです。

>●民間がさじを投げた市場が成長戦略?

 民間の金融機関をどう見るかの違いが大きいように思います。
 乙は、日本の民間の金融機関について、かなり疑いの目を持っています。有望な(少なくとも本人はそう信じている)起業プランがあったとして、銀行が融資をするか(そういうのを審査する目を持っているか)といえば No です。土地などの担保があれば融資するでしょうが、アイディアには融資しません。銀行にはそういう目がありません。日本は長年こうしてやってきたわけです。その積み重ねが現在の閉塞状況を形作ってきたように思います。
 したがって、いろいろやりたいと思った企業があっても、どこからも資金が工面できず、乗り出せない状況があるのではないでしょうか。
 投じた資金が2倍にも3倍にもなるかもしれないけれど、もしかしてつぶれてしまうこともあるという場合、銀行は絶対に融資しません。融資が焦げ付くことを何よりも避けるからです。ベンチャーキャピタルなどで融資するところもあるとは思いますが、資金量が限定されているように思います。
 であれば、そういうアイディアを国が後押しすることは成長戦略になりうると思います。ただし、うまくいかない例もあるでしょう。

>●審査能力の高さ

 審査能力に関しては、国が(つまりは公務員が)持っていると主張するものではありません。
 むしろ、以前のブログ記事
2011.2.14 http://otsu.seesaa.net/article/185801658.html
のコメント欄で述べたように、民間の力を借りるべきでしょう。
 ここは制度設計の問題で、乙は十分やれると思っています。
 もしも、ゴールドマンサックスが起業審査に優れているなら、その力を借りるようなことを考えればいいと思います。

 「中小企業融資に減税措置なり不良債権の扱いから除外したりとニンジンをぶら下げて彼らが参加するように促すべきです。」という意見には賛成ですが、これは、規制緩和の一種ともいえるもので、今回の成長戦略の話とは別の話題です。


>「審査なしでは、大量の詐欺師が紛れ込んでくるので、制度が持たない。」とありますが、そんなに大量の詐欺師は来ないでしょう。

 起業は研究と同じで、本人はまったくの善意であっても、失敗する(何も成果を生み出さない)ことがあります。結果的に資金をムダにしてしまうわけです。問題は、そういう善意の企画者と、詐欺師(悪意を持った企画者)を区別することは困難だということです。
 助成財団のようなところでも、ほとんど意味のないような研究計画が応募している例があるようですよ。審査ではねられているという話ですが。たぶん、ご本人はあわよくば研究助成がもらえたらうれしいといった単純な動機なんでしょうけれど、……。
 何か、特別融資制度とかいうようなものが用意されれば、本人がそうとは自覚していない「詐欺師」が大量に発生・申込することはあり得ることですし、その対策を事前に考えておかなければ、制度が持たないし、かえって害悪を流すことになるように思います。

>※このテーマはまだまだ掘り下げて書けそうですね。

 同感です。
Posted by at 2011年03月02日 06:16
経済産業省の補助金事業に応募したことがあります。

合格しやすい企画書の書き方やプレゼンのコツをアドバイスするコンサルタントの収益源になっています。

自分がやりたい事業ではなく、審査に通りやすい事業を企画することになるので、本末転倒だと思いました。

また、最終審査で学識経験者の面談を受けましたが、自分のお金を出すわけでもないのに、横柄な態度でビックリしました。

北海道の事業なのに東京で審査をするので、旅費だけでもバカにならないので、今後は応募しないと思います。
Posted by 札幌の不動産屋日記 at 2011年03月02日 15:52
札幌の不動産屋日記様
 さぞや不愉快な経験をされたのでしょうね。
 しかし、それは制度の運用の問題であって、そうでない(そんなことはしない)運用のしかたもあると思います。乙が聞いた助成財団の話も、「審査に通りやすい」かどうかなどはまず無関係な話だったようですし、もちろん面談による審査もなく、旅費もかからない(助成を受けることが決まった人は、贈呈式に出席するように求められるけれど、それはそれで別途旅費が出るという話でした)とのことです。
 理念としてどうかということと、現実的な運用の問題としてどうかということは、若干違う面があるかと思います。
 まあ、良し悪しを判断するときは両者はしばしば一体化してしまいますが、……。
Posted by at 2011年03月02日 20:38
>民間の財団の審査が是であるならば、それと同じ趣旨で
>国の審査も是とするべきではないかと思います。

民間1社と国という1:1の比較ならその通りです。
しかし、ポイントはそこではありません。民間に任せるということは競争原理が働くということです。この「競争」がポイントです。
国がやるよりも、民間企業が競争して物事を進めるほうがより効率的に進むという資本主義の原則的な考え方です。

確かに国とシャープ1社でスマートフォンの開発をすれば、どちらが優れているかは分かりません。国の方が優れているかもしれません。
しかし、民間全体と国で考えた時にどちらの方が優れているでしょうか?今ではものすごいスピードでいろいろな機能を持ったスマートフォンが発表されています。これは各企業が競争している結果です。、シャープ1社を持ってシャープが国より優れているというつもりはありません。これと同じでA財団が国より優れているというつもりもありません。
重要なのは多くの団体が参加することで競争原理が働いて、効率的に物事が進むという話です。だから民間による開発や審査が国による開発や審査より優れているという主張です。
東芝、ソニー、シャープ、HTC・・・という民間企業によるスマートフォン開発が是だからいって、彼らに代わって国が開発することが是とは言えないはずです。


>乙は、日本の民間の金融機関について、かなり疑いの
>目を持っています。有望な(少なくとも本人はそう信じて
>いる)起業プランがあったとして、銀行が融資をするか
>(そういうのを審査する目を持っているか)といえばNoです。

別に日本の銀行でなくてもいいはずです。それこそベンチャーキャピタルが進んだアメリカの外資系金融機関やその他のコングロマリット(死語?)企業の参加があっても良かったはずです。外資系企業は日本の銀行も買いましたし、消費者金融も買いました。土地も買いました。「もの言う株主」として入ってきたところもあります。このようにありとあらゆる場所で収益機会をうかがう投資マネーが世界中で投資機会を求めています。確かに日本の銀行やNttのような会社は中小企業への融資はしてきませんでした。しかし、これ以外にも幾多の投資主体があるにもかかわらず「有望な日本の中小企業のアイデアにだけは投資しなかった」というストーリーの根拠が弱いように思うのです。
資金量が足りないのであれば、世界中で投資機会を求めているマネーがどうして参入してこないのか?という点を考える必要があるかと思います。


>もしも、ゴールドマンサックスが起業審査に優れているなら、
>その力を借りるようなことを考えればいいと思います。

国が関与するとろくなことになりません。「力を借りる」ということは借主は国であり、国が関与することを意味します。これだと事業仕分けしかり、結局は政治家や官僚などの力が入ってしまいます。彼らを一切関与させない形で制度設計と財源を確保したらあとは民間に任せた方がよいでしょう。民間の力を使うときにわざわざ無能(?)といえる政治家がわざわざ入る理由がありません。
ゴールドマンサックス内部での審査プロセスを通ったのに、最後に官僚が説明を聞いて判子を押す?無意味です。どう関わるかはわかりませんが、民間にやらせるなら国が関わらない方がマシです。


>何か、特別融資制度とかいうようなものが用意されれば、
>本人がそうとは自覚していない「詐欺師」が大量に発生・
>申込することはあり得ることですし

それは国が関与して審査すべきでしょうか?
「国は制度を決め、金を出すだけ。審査など資金の有効活用は民間の競争に任せる」
これが私のコンセプトです。私は国は審査をせずに民間企業に審査させればいいと考えているのですが。
また、国が審査しようが、民間企業の審査だろうが、自覚しない「詐欺師」はやってきますよね?みずほ銀行が審査すると詐欺師が来て、国が関与して審査すると詐欺師が来ないという理屈はないはずです。


また、国がやる場合は制度の運用上の問題で何とでもなる、というような主張もされていますが、そこが怪しいです。国がやる時点で札幌の不動産屋日記さんのようなケースが起こりやすくなります。中には高い道徳心から一生懸命やる人もいるでしょうが、そういう「日本国民全員が犯罪を絶対に犯さないという高い道徳心をもてば犯罪は起こらない。警察組織は無くても制度上の運用で防犯は可能」に通じる考え方は制度設計というのとは何か違う気がします。
「それなら国が民間と同じように身銭を切っていつ自分が倒れるかというリスクを背負えばいい」となるとそれには強い弊害が出ます。1民間企業はつぶれても良いですが、国はつぶれると困ります。ですから国はなるべく安泰でいなくてはいけないわけです。でも安泰な国が仕事をやるとなるとモラルハザードが起こります。
Posted by 吊られた男 at 2011年03月02日 22:12
吊られた男様
 国の審査と民間の1社を比べるべきでなく、民間の競争を考えるべきだという点ですが、今回の話は、国(あるいはその代理人)が審査するものが民間の発想による起業プランであり、前提として、多数のプランが出され、それを審査して一部のプランを優遇しようという話ですから、つまり、ここに(市場とは別ですが)競争原理が働いていると考えられるように思います。
 「民間企業によるスマートフォン開発が是だからいって、彼らに代わって国が開発することが是とは言えない」のは当然です。補助金制度はあくまで開発費の一部を補助するだけです。乙がいいたいのは、スマートフォン開発という一つのプランの話だけでなく、そういうアイディアが数百件あって、かつ、資金不足で開発に乗り出せないような場合に、その中に有望なものを見つけ、そこを後押ししてあげようということです。

 外国資本などがなぜ日本の中小企業に投資しないのか、これが問題であることは明らかですが、「なぜ」はわかりません。日本の制度がじゃまをしている可能性もあります。電源開発や空港などに見られる外資排除のやり方に通じる何かがあるのかもしれません。日本全体として、外資の参入を歓迎していない可能性もあります。
 そういう状況を変えていくために、一方では規制緩和が必要ですが、同時に日本政府が打つべき手段があってもいいだろうと思います。

「国は制度を決め、金を出すだけ。審査など資金の有効活用は民間の競争に任せる」
 この方針には賛成です。乙が最初に成長戦略の話を読んだとき、真っ先に思い浮かんだのはまさにこういうことでした。
 審査のしかたは、経験を積みながら、改善していけるように思います。
 犯罪のようなマイナスの制度設計と、起業審査のようなプラスの制度設計を同列に考えるのはいかがなものでしょうか。プラスの制度では、道徳心のある人(日本をよりよいものにしようと努力する人)はけっこういると思います。審査に当たる人全員がそうだとはいえませんが、それを言い出すと審査制度自体が成り立たなくなります。
 今回の話では、国が倒産リスクを負う必要はありません。補助金はあくまで補助金であって、それだけで一つのプランの全体がまかなわれるわけではありません。(このあたりは制度設計の話になってしまいますが。)
Posted by at 2011年03月03日 06:16
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