2011年03月02日

山森亮(2009.2)『ベーシック・インカム入門』(光文社新書)光文社

 乙が読んだ本です。「無条件給付の基本所得を考える」という副題がついています。
 ベーシック・インカムとは、誰にでも一定額の所得を与えようという話です。どういう理念なのか、そういうことが可能なのか、それを知りたくて読んでみました。
 一読して、乙はかなり不満を感じました。
 本書中には、歴史的にどういう運動があり、どのようにベーシック・インカムという考え方ができあがってきたかが記述されています。しかし、本当に知りたいのは、日本なら日本に適用したときにどういう制度になるのかということです。たとえばもらうお金にしても、毎月3万円か、10万円か、はたまた30万円かによって姿は全然違って見えると思います。そういう具体論は一切出てきません。ただし、仮にということで、p.10 では、大人一人1ヵ月10万円、子供は7万円という数字が出てきますので、たぶん、このくらいのことを想定しているものと思われます。
 ベーシック・インカムに関して、乙が疑問に思った点はいくつかあります。
 第1に、子供の分は誰に支払うべきかということです。たとえば、18歳で区切って、それ未満は子供扱いし、それを越えたら大人扱いする(本人に支払う)のでもいいと思いますが、その子供の分は親に払うということでいいのでしょうか。両親が離婚したケース、家庭崩壊したケース、両親ともに死んでしまったケース、施設に入っている子供のケース、などなど考えてみると、「親に払う」ということでもけっこう手間がかかりそうです。現在の「子ども手当」の場合と同じ問題が起こります。
 第2に、外国人をどうするかという問題です。もちろん、外国人もベーシック・インカムの対象です。日本に住んで(働いて)いれば、日本に税金を払っているわけで、国籍で差別することがあってはなりません。しかし、入国してきた人に毎月10万円をプレゼントするということが世界中に知れ渡ると(そしてそうなることは明らかですが)、さまざまな理由で日本への入国者が激増しそうです。留学生・就学生はもちろんですが、理由は何でもいいので、日本の医療を受けたいとか、日本人との(偽装)結婚とか、蛇遣いのプロ(エンターテイナー)とか、何でもありになるかもしれません。日本人がそういう不法入国を手伝う(そして荒稼ぎする)例が激増するでしょう。密入国者の場合だって、それを理由にベーシック・インカムを支払わないというのは本来の趣旨に反します。「日本に1年以上住んでいる人」などと条件を付けることは、ベーシック・インカムの理念(何も条件を付けずにばらまくのがよい)に反することです。日本に入国した人は、働く必要はありません。働かなくても食っていけるだけの金額を渡すことがベーシック・インカムでしょう。「黄金の国、ジパングに行こう。覚える言葉はたった一つ。ベーシック・インカム、プリーズ。」こういう外国人が激増してもベーシック・インカムという制度が耐えられるのでしょうか。
 第3に、第2の点の裏返しですが、日本人(日本国の居住者)は、海外に出かけていく(留学でも就職でも起業でも国際結婚でも何でも)ことが少なくなりそうです。日本にいれば毎月10万円もらえるけれど、海外に行ったらそれがもらえないのでは、わざわざ海外に出かけようとする人は少なくなるでしょう。日本人はいよいよ内向き思考になりそうです。これがいいか悪いかは議論の余地がありますが、日本国の(さらには全世界の)発展のためにはよくない面が多そうです。
 第4に、ベーシック・インカム制度のもとでは働かない人が増えそうです。本書の pp.146-147 では、ベーシック・インカムへの批判として、働かない人に甘く、働く人に厳しい制度だといわれることがあると述べ、それに対する反論が書いてありますが、乙は、反論になっていないと思います。たとえば、大学を卒業するころ、ベーシック・インカム制度があったとして、乙は就職の道を選んだでしょうか。働かなくても一定の収入があり、自分の時間をすべて好きなことに割けるなら、そちらを選んだ(つまり就職しない)可能性があります。これは社会の理念の問題というよりは個人の生き方の問題です。たくさんの人の判断の集合として働かない人が多くなれば、いわば日本全体が「引きこもり」状態になるわけで、社会は崩壊します。
 第5に、ベーシック・インカムは豊かな社会の発想であり、そうでない社会には受け入れられないということです。ベーシック・インカム構想の歴史を述べた p.150 以降でもそれははっきりしています。豊かな社会が実現し、福祉国家が実現してきたからこそこういう考え方が登場してきたのであって、人類の大部分の歴史にはこういう考え方はありえなかったということです。ベーシック・インカムには 200 年の歴史があるといいますが、たった 200 年です。人類の大部分の歴史は、どうやって食って(生きて、子供を育てて)いくかということであったろうと想像します。近年、豊かな社会になり、ようやく弱者も生存の権利があると考えられるようになってきた(他人に助けられれば弱者も生きていけるし、助ける側も自分のことだけに精一杯ではなく、他人を助ける余裕ができてきた)わけです。ベーシック・インカムは、そういう豊かな社会を前提にして成り立つ制度です。日本は「豊かな社会」でしょうか。これからもずっとそうであり続けるでしょうか。
 第6に、不正受給や支払ミスの防止の問題です。ベーシック・インカムは、誰にでも支給するから審査などの手間が不要でその分のコストがかからないという議論がありますが、実際はそんなでもないと思います。少なくとも、年金と同じく、その人が生きてそこで生活していることの確認は必要ですし、二重支払などにならないための制度が必要です。それはけっこうコストがかかる話でしょう。

 なお、本書中の記述で乙がおやと思った点についてもメモしておきます。
 第2章「家事労働に賃金を!」で、家事労働に従事する女性たちに賃金を払うべきだという考え方が紹介されます。これもベーシック・インカムにつながっていく考え方です。しかし、こういうときの家事労働は、それによってメリットを受ける側(夫、あるいはその家族)が賃金を払うべきであり、社会が払えばいいということにはなりません。
 p.275 では、「働かざる者、食うべからず」という言い方に触れ、もしも本気でそう思うなら相続税 100% にするべきだという議論が書いてあります。これは変です。そんなことをしたら、裕福な人はどんどん外国(相続税のない国)に逃げていくだけです。武富士の創業者の息子が香港に住んでいたような話です。
 本書で、乙も賛成するところがありました。p.267 から、ベーシック・インカムを導入することと似た結果になるということで、生活保護や児童扶養手当を利用しやすくすること、年金を税方式にすること、児童手当の所得制限を撤廃すること、所得税の計算で所得控除になっているところを給付型税額控除にすることなどを挙げています。そうするべきかどうかは議論の余地がありますが、このような施策はベーシック・インカムへの道として考えてもいいと思いました。

 ベーシック・インカムに関しては、以下のようなブログ記事も参考になるかと思います。
http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/e/df9729ff82024e97dd3447d08d9c5f27
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50907051.html


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posted by 乙 at 04:28| Comment(4) | TrackBack(0) | 投資関連本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
(最近は反論コメントが多いですがいつも意見に反対しているわけではありません)
この本は今手元に無いので、正確な記述は覚えていないのですが、少し訂正・追加・反論させてくだあい。


●金額
ベーシックインカム(以下BI)の金額は諸説ありますが10万円という基準は上限値に近いところで、山森氏の金額をもってBI代表とされるとそれは違うはずです。そのあたりの金額には幅があることを考えてBIの是非は判断していただきたい。


●外国人問題
密入国者や医療ツアーや観光で来ている人は除外です。BIに彼らまで払うという趣旨はありません。密入国者などの問題は事前の移民や外国人登録といった制度をどうするかという問題です。「理由は何でもいいので、日本の医療を受けたいとか」とありますが、そのような理由では(観光は別ですが)日本に入国できません。このような入国審査をBI固有の問題かのように論じる意見もありますが、その他の公的サービス(公的教育、生活保護、児童手当、健康保険等々)や国内の就労をどうするかなどと繋がる外国人の認定をどうするかの問題です。
「黄金の国、ジパングに行こう。覚える言葉はたった一つ。ベーシック・インカム、プリーズ。」「はい、却下。」

「日本に入国した人は、働く必要はありません。働かなくても食っていけるだけの金額を渡すことがベーシック・インカムでしょう。」というのは日本の居住条件を無視した話です。東南アジアから看護士になるためにやってきたが試験に合格できずにビザが切れて帰国というニュースもあります。「ビザが切れようが密入国だろうが勝手に好きなだけ住んでBIを受け取れる、だから反対だ」というのは反論にはならないでしょう。


●日本人の内向き思考
福祉の充実と国の成長が止まることは余り関係ないでしょう。かなり福祉が充実した例で挙げられる北欧でもそれを理由に内向き思考になって発展が止まったという話はありません。「日本国の(さらには全世界の)発展のためにはよくない面が多そうです。」ともありますが、福祉の充実が世界の発展に悪いならば、老齢年金の縮小やら健康保険の廃止やらと福祉を廃止していった方が日本のためにも世界のためにもよいというような話にもなりそうですが・・・そうでしょうか?(中国が発展しているのは国民皆保険とか年金制度とかが無いから?)


●労働しなくなる
これも良くある反論ですが、そんなに悟った人ばかりではありません。
だいたいBIで有力なのは5〜8万円という金額ですが、この金額さえもらえれば働かないという人ばかりでしょうか?月数万円の収入で就職の道を捨てて生きますか?

今は年収200万円台でもワーキングプアで結婚できないと言われています。年収400万円程度でも収入が低くて大変とか言っています。そのために専業主婦だった妻がパートに出たりしています。世の中には倍の800万円以上を稼いでいる人たちもいるし、彼らの中でももっとお金が欲しいと言う人がたくさんいる。このような人たちが仮にBIで月5-8万円もらえたとしても働くでしょう。
労働意欲が削がれる可能性が高いのは低所得者で、BIだけで暮らそうとする人が出てくるかもしれません。そういう意味では、BIがあることで労働意欲が下がる人はいるでしょう。これは正しい。しかし、そうであっても「BI導入が"従来より"労働意欲を低下させる」は必ず正しいとは言えません。
配偶者控除、扶養という制度があるおかげで(103万の壁などと言って)労働を抑えるインセンティブが働いている人たちがたくさんいます。労働しないことで控除という名目で利益を得ています。
また、現在の低所得者支援の生活保護は働いて稼いでしまうとその分だけ生活保護の支給額が減ってしまいますので、働かないインセンティブが強烈に効いています。BIであれば(多少所得税率が上がる可能性はあるが)稼げば確実に所得は増えます。

従来の制度と比較して特別に労働意欲低下効果が大きいとは思えません。むしろ労働分だけ対価が貰える公平な制度に近いのではないでしょうか。


●豊かな社会の発想でしか受け入れられない
日本人の内向き思考などの話をしているので乙川さんは「日本におけるBI導入」を考えているのかと思います。では、日本の状況(豊かな社会)を前提とした制度はいけないのでしょうか?
たった200年の歴史の上の発想がダメだというと、いくつもの現代制度が破綻します。現代社会の基盤は20世紀の目覚しい発展で作られました。それらが続くという前提で物事を考えるのがおかしいというならば、上下水道が整って電気やガソリン自動車や携帯電話が使えるというのは人類の歴史から見ればほんのわずかな対最近に実現した豊かな社会です。さて、これらの豊かなものがそろった社会でしか受け入れられないシステムには反対なのでしょうか?
携帯電話の歴史など遥かに短いです。普通参政権や女性参政権など人類の何万年〜という歴史から考えると現代制度のおおくがおかしい発想となります。人類の歴史を持ち出すならば間違いなく今の日本はダントツで豊かな社会です。私は現代の先進国国家が人類の歴史から見るととても豊かな、上下水道があったり電気が使えることを前提とした上で仕組みを考えることは間違っていないと思うのですが、乙川さんは家に水道や電気がある前提で議論をするのはおかしいというのでしょうか?


●不正受給や支払ミスの防止コスト
「BIで主張するコストがかからない」はコスト0を意味しません。当然支給のためのコスト等は発生します。ただ「従来の複雑な手続きや個別の制度に従った方式より"コストがかからない"」という話です。
Posted by 吊られた男 at 2011年03月02日 22:15
吊られた男様

>●金額

 金額に幅があることは承知していますが、本来は、それを(仮にでも)明示しないと制度自体の議論がしにくいと思っています。
 また、あまりに低額だとベーシック・インカムの意味がないし、あまりに高額だと財政が持たないということがあるので、おのずとある幅に収まりそうな気がしています。

>●外国人問題

 入国審査をさまざまな公的サービスと関連付けて考えるべきだというのはその通りです。そこをきちんとしておかないと、密入国者の激増などとんでもないことが起こるといいたかっただけです。
 子ども手当にしても、制度設計にまずい点があったと思います。これについては「養子が 544 人という韓国人」
2010.4.25 http://otsu.seesaa.net/article/147665683.html
という記事を書いたことがあります。

 「理由は何でもいいので、日本の医療を受けたいとか」と書きましたが、「理由は何でもいいので」は、その後のすべてにかかっていきます。「日本の医療を受けたい」だけにかかるわけではありません。
 現在、医療ビザが設けられ、外国人が日本の高度医療を受けることが可能になっています。もちろん、制度に穴はないものと思いますが、ベーシック・インカム制度が導入されると、そんなところにも穴を見つけてかいくぐろうとする人が出るかもしれません。

>「ビザが切れようが密入国だろうが勝手に好きなだけ住んでBIを受け取れる、だから反対だ」というのは反論にはならないでしょう。

 ここは制度設計の問題なのですが、うまくやらないととんでもないことが起こりうるというのが乙の意見で、したがって、ベーシック・インカム制度は、理念の問題と同時に、具体的にこうすればいいという設計図まで提示しないと意味がないのではないかといいたかったわけです。
 本書中には、こういう点で記述が不足していると思いました。

>●日本人の内向き思考

 これは、内向き思考が良いか悪いかは両面があるので特に断定的に書いたつもりはありません。
 また、これを福祉の充実と国の成長に結びつけて見てもいません。
 経済的な問題だけでなく、異文化交流など、もっと広く考える必要があると思っています。その意味で、内向き思考はよくない面があると考えています。

>●労働しなくなる

 これもベーシック・インカムの制度設計に関わる話です。5-8 万円では、生活が厳しく、「働かない」選択は少なくなるかと思います。乙は10万円くらいを考えていましたが、このくらいもらえれば、働かない選択もありそうです。
 乙の身近にも引きこもりの人がいるのですが、そういう人は現在無収入で、親に頼って生きています。いざ働こうとしてもなかなかむずかしいし、親がいれば(そして親が死んでも財産があれば)働く必要はないと割り切っているのかもしれません。
 多くの人がこういう状態になるとはいえませんが、ベーシック・インカムが導入されると、その道を選ぶ人が増えるように思います。
 このあたりは、ベーシック・インカムの金額、従来の(現在の)制度上の問題点など、考えるべき点がさまざまあるという指摘はその通りでしょう。
 乙は、本書にそういう議論を期待したのですが、ほとんど触れられていなかったので、残念だったと思いました。

>●豊かな社会の発想でしか受け入れられない

>これらの豊かなものがそろった社会でしか受け入れられないシステムには反対なのでしょうか?

 いいえ、そういうシステム自体に反対しているわけではなく、現状の日本がそういうシステムを導入できるだけの豊かさがあるのか、そして今後数十年以上そうであり続けるのかが疑問だということです。
 これも、煎じ詰めると制度設計の問題になってくる面があります。
 豊かな社会を前提に、過度に贅沢な制度にすると、あとで困ったことが起こることがある。だったら、そんなに贅沢をいわないでほどほどでいいのではないかという趣旨です。
 まあ高速道路やハコモノのようなハードなものと、ベーシック・インカムのようなソフトな制度は違う話かもしれませんが、……。

>●不正受給や支払ミスの防止コスト

 「従来の複雑な手続きや個別の制度に従った方式より"コストがかからない"」というのはその通りでしょうが、そのコスト差はかなり小さいのではないかと思いました。ホントのところはよくわからないところです。一部のデータをくわしく調べるのと、全部のデータをざっと調べるのとを比較しても、なかなかわからないようなものです。データ1件あたりの調査費用はくわしく調べるほうが高いのは当然ですが、全体のコストはどうなんだろうということです。
 ここも具体的な設計論にしたいところですが、実現していない制度のコストを考えるのはむずかしいかもしれません。
 本書ではこのあたりも何も記述されておらず、不満に感じました。
Posted by at 2011年03月03日 07:28
私はこの本がどこまで記述していたかを覚えていなかったのですが、「入門」というだけあって、さわりだけで本論に入る前に終わってしまった感じでしょうか。

そのあたりは所詮新書なので仕方ないのかもしれません。(さまざまな人がが喧々諤々の議論をしている内容が新書1冊にまとめられてしまっても関係者は悲しそうですし)
Posted by 吊られた男 at 2011年03月03日 22:48
吊られた男様
 乙の感覚では、この本は「入門」ではありません。新書だとしても、その分量で書き込むべきものは何かと考えると、今書かれているようなベーシック・インカムの理念史のようなものよりも、今の日本にベーシック・インカムを導入するとすればどんなしくみになるのか、シミュレーション結果を示すべきだろうと思います。
 もちろん、いろいろな議論があることは承知していますが、それでも、あえて「一つの考え方」としてまとまった形で述べることで、具体的なあり方が多くの人に理解され、興味と関心を集めることができるように思います。
 本書の内容は、入門書でなく、もう1冊のベーシック・インカム関連書と見れば、意味があるかもしれません。つまり、ベーシック・インカムについて理解した上で読むべき内容だということです。
Posted by at 2011年03月04日 06:23
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